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 花はどこへいった

2008年6月

Agent Orange -a personal requiem-

花はどこへいった

  • 製作・監督・監督・撮影・編集:坂田雅子
  • 編集協力 ジャン・ユンカーマン
  • 配給:シグロ

2007年 日本映画 71分

   

「枯葉剤」をご存じですか? ベトナム戦争のとき、米軍は南ベトナム解放民族戦線の兵士の活動を阻止しようと、彼らが活動していたジャングルの樹木を枯らすためにヘリコプターからピンク色の粉を蒔きました。それは猛毒のダイオキシンが含まれている除草剤でした。容器のドラム缶にオレンジ色の横縞が入っていたことから「エージェント・レンジ(Agent Orange)」と呼ばれました。

樹木は枯れ、荒れ地となりました。枯葉剤は樹木だけでなく、その土地をも枯らし、人間にも被害をおよぼしました。その威力は遺伝子にまで達し、その地を歩いた兵士たちの身体をむしばみ、彼らの子どもたちは、重度の奇形児となっています。わたしたちは、日本に手術にやってきたベトちゃんドクちゃんのことを思い出します。枯葉剤の被害は、ベトナムの人々だけでなく、当時ベトナムにいた米軍たちにも同様な被害を与えました。

ベトナム帰還兵のグレッグ・ディビス(Greg Davis)は、1948年にロサンゼルスに生まれました。ベトナム戦争が激しかった1967年~70に、米軍兵士としてベトナム戦争に参加しました。戦争後、1970年から74年に京都に住み、このとき出会った坂田雅子と結婚しました。独学で写真と芸術を学び、その後フォト・ジャーナリストとして世界を舞台に活躍しました。2002年には、一年をかけて群馬県各地を取材して、急速に失われつつある日本の一地方の生活を記録しました。

グレッグはある日、突然、激しい腹痛に襲われました。日に日に衰弱していき、わずか2週間の入院で、あっという間に亡くなりました。2003年4月19日のことでした。病名は肝臓ガンでした。「なぜ、こんなに突然、亡くならなければならなかったのか」妻の雅子さんは、疑問に思いました。ベトナムに行っていたことのあるグレッグさんについて、友人が言いました。「枯葉剤が原因ではないか……」グレッグはベトナムで枯葉剤を浴びていたのです。雅子さんは、ベトナムへ行くことにしました。

映画は、入院した夫のグレッグさんの姿から始まります。夫の死の悲しみ、喪失感に立ち向かうようにしてベトナムに向かった雅子さんは、北のハノイ、ハイフォン、ターイビン、ナムディン、17度線北のゲアン省ビン、17度線南のカムクアンチ省カム・ニア、南のホーチミン、ドンナイ省を訪れ、たくさんの家庭や病院で子どもたちに合いました。

眼球がなくまぶたがつながっている子、手足が短く、手のひらに粒のような指がついている若い女性、近所の人から頭が2つあると言われている子など、生まれたばかりの子から20歳ぐらいの人まで年齢はさまざまです。枯葉剤で汚染された土地を歩いたため、父親自身もガンに冒されていました。しかし、子どもたちの両親から嘆きや恨みの言葉はありません。

  「だれのせいでもありません。戦争がいけないのです。」
  「生まれたからには、育てなくてはいけません。」

大変な状態の子どもを抱え、貧しい生活であるにもかかわらず、グレッグさんが感じたとおり、雅子さんが伝えるベトナムの家族はすばらしい人間性を持った人々でした。

両親はしっかりと我が子を抱きしめ、兄弟姉妹もその子を大事に愛情を持って育てています。すべての現実を責任を持って受け止めて生きていく人間の強さを感じました。

雅子さんは、ベトナム各地の障害のある子どもとその家族を訪ねるうちに、グレッグが自分の仕事をとおして伝えようとしていた反戦や平和への願いを、あらためて力強く感じるのでした。

雅子さんにとってのベトナム行きは、夫の活動を追体験する結果となりました。雅子さんは、ベトナムで撮影した映像の間に、生前撮り貯めていた夫を撮影したフィルムを入れて編集しています。映像の中で、グレッグさんは次のように語っています。

10代でベトナムに派遣されたとき、ベトナムという国を見ず、自分の突き進むジャングルの道だけを見ていた。兵役が終わって帰国した自分を待っていたのは、「赤ちゃん殺し!!」という罵声と、自由と経済成長のシンボルであるコカ・コーラのビンだった。

しばらくして、ベトナムにひかれはじめた。自分は何をしていたのか。ベトナムという国を見つめるため、かつての戦地へ渡った。しかし、怖かった。ベトナムの人々は、自分をどのように迎えるだろうか。仕返しをするだろうか。

「ホテルにこもっていては、いけない。街に出よう」と思い街に出て行った。同年代のベトナム人の男が声をかけてきた。自分が米軍だったと知ると「なんだ、ぼくたちは敵か」と言い、次に「ベトナムへようこそ」と言った。ベトナム人のこの心の寛大さ。
 

 

グレッグさんと雅子さんの映像をとおして接するベトナムの現実を、日本の人々も海外の人々も、しっかりと目を開いて見る必要があると思います。

挿入歌として、ベトナム戦争当時の反戦歌として有名な、ピター、ポール&マリーが歌う「花はどこへ行った」が使われており、映画のタイトルにもなっています。

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