お薦めシネマ
ディア・ドクター
2009年7月
Dear Doctor
- 監督・原作・脚本: 西川美和
- 原案小説: 西川美和著『きのうの神さま』(ポプラ社刊)
- 衣装デザイン: 黒澤和子
- 音楽: モアリズム
- 出演:笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、井川遥、香川照之、
八千草薫 - 配給:エンジンフィルム+アスミック・エース
2009年 日本映画 2時間7分
- 第33回モントリオール世界映画祭コンペティション部門正式出品
今、もっとも注目されている若手監督・西川和美さん。前作の「ゆれる」では、映画だけでなく、映画の後に小説化された『ゆれる』で、作家としてその才能もあきらかにしました。
西川監督の視点は、人間だれでももっている感情や心の動きに注がれ、見る者は、隠しておきたいような自分の心の奥を見抜かれているように思い、ハッとし、映画の登場人物たちの姿に、自分がどうしたらいいのかの答えを探すのです。
「ディア・ドクター」は、「ゆれる」で多くの賞を取り、評判が一人歩きしていると感じた西川監督の「人の評価と自分の内面のギャップから生まれた」という作品です。人間性を深く見つめている西川監督ならではの作品です。人のいのちを救う医師と彼にいのちを託す人々のかかわりの中から、本物とは何か、わたしは人の何を信じて生きているのかが問われます。
物語
棚田が続く山深い村に、真っ赤なスポーツカーが走っていく。風景にまったくそぐわないこの車には、都会からやってきた若者が乗っていた。コンビニも何もない田舎での日々を早く終わらせたいと思っていた研修医の相馬(瑛太)は、この土地にうんざりしはじめたそのとき、曲がり角から二人乗りのバイクが飛び込んできた。
気がつくと相馬は、診療所の診察台の上にいた。そこには、なごやかな田舎の診療所の風景があった。「伊能」(笑福亭鶴瓶)と名乗るおっとりとした医師は、てきぱきと体を動かす看護師の大竹(余貴美子)とともに、村の老人たちの診療にあたっていた。伊能は、急患の電話には夜でも駆けつけ、無医村だった村人から大きな信頼を受けていた。
(C)2009 『Dear Doctor』製作委員会
臨終となったおじいちゃんの体を抱きしめ、愛を込めて「ご苦労だったね」と背中に回した手で、こどもをあやすように数回叩いたとき、のどに詰まっていた物が口から出て、おじいちゃんは息を吹き返した。この出来事が、ますます伊能を名医にしていった。
ある日、鳥飼かづ子という一人暮らしのおばあちゃん(八千草薫)が倒れ、伊能らは往診に向かった。お腹に触れただけでかなり病状が進んでいるとわかる状態だった。かづ子の娘(井川遥)は医師として都会で働いていた。しかし、病気を娘に悟られたくないかづ子は、「一緒に嘘をついてくれ」と伊能に頼む。伊能は診療所にかづ子を招き、ぎこちない手つきで胃カメラを飲ませる。
またあるとき、土砂崩れにあった作業員が運ばれてきた。急に苦しみ出した患者を診て、看護師の大竹は、救急病院で働いていた経験から「気胸」ではないかと疑う。胸に太い針を刺して空気を出さなければいのちが危ない。一刻の猶予もない状況の中で、なぜか立ちつくす伊能に向かって、大竹が声を荒げる。「わたしがするわけには、いかないじゃないですか!」。相馬に見えないように、針を刺す場所を指示する大竹。彼女の言うとおりに針を刺し、作業員は一命を取り止める。救急車で運んだ先の病院では、伊能の適切な判断が絶賛される。
お盆になり、かづ子の娘・りつ子がやってくるとかづ子に告げられる。伊能は偽のレントゲン写真を見せるため、医薬品の営業マン・斎門に、胃カメラを飲んでもらいえないかと説得する。斎門は慢性の胃潰瘍だった。
伊能の、村人を大切にする献身的な働きを間近で見て、「研修期間が終わったら、またここに来てもいいか」と言う相馬に対し、伊能は「ずるずると居残ってしまっただけだ。おれには資格がない」と告げる。「資格って何か、村の人から感謝されているではないか」と反論する相馬には、伊能の「偽物」という言葉が通じない。
伊能とかづ子の嘘は、りつ子の前に次第に追い込まれていく。と同時に、村人から絶大な信頼を得ていた伊能の医師としての姿も、窮地に追い込まれていく。そして帰省して診療所を訪れたりつ子から、かづ子のことを頼むと言われた伊能は、「すぐ、戻りますから」という言葉を残して、村から姿を消す。
伊能に理想的な医師像を重ねる相馬と、村人の信頼に応えている伊能が、「資格」という言葉について論争する場面が、この映画を物語っているように思います。娘が勤務する都会の大病院のベッドで毎日を過ごすかづ子は、果たして幸せなのでしょうか?
社会が取り決めた資格とか法の中で生きていますが、それでは処理できない、人の思いがあります。心のそこからよかったと思えるのはどういうことなのか、最後の場面に救いがあるようです。