お薦めシネマ
カティンの森
2009年12月
KATYN
- 監督:アンジェイ・ワイダ
- 原作:アンジェイ・ムラルチク『死後(ポストモルテム)』
工藤幸雄・久山宏一訳『カティンの森』(集英社文庫) - 脚本:アンジェイ・ワイダ、ヴワディスワフ・パシコフスキ、
プシェムィスワフ・ノヴァコフスキ - 音楽:クシシュトフ・ペンデレツキ
- 出演:マヤ・オスタシェフスカ、アルトゥル・ジミイェフスキ、
ヴィクトリャ・ゴンシェフスカ、マヤ・コモロフスカ、
アンジェイ・ヒラ、アグニェシュカ・グリンツカ、
アントニ・パヴリツキ - 配給:アルバトロス・フィルム
2007年 ポーランド映画 122分
- 2008年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品
- 2008年ベルリン国際映画祭正式出品作品
- 2009年東京国際女性映画祭参加作品
1939年、ポーランドはドイツとソ連に相次いで侵略されました。そのとき、ソ連の捕虜となったポーランド人将校約15,000人が行方不明になるという事件が起きました。1943年、旧ソ連領カティンで数千人の遺体が発見され、カティンで虐殺が行われたことが明らかになったのです。
アンジェイ・ワイダ監督の父親は、このカティン事件でソ連軍に殺されました。また、夫の帰還を待っていた母親も失意のうちに亡くなりました。監督になって間もないときにカティン事件の真実を知ったアンジェイ・ワイダ監督は、この事件の映画化を考えましたが、当時はカティン事件について語ることはタブーとされ、映画化することはできませんでした。ようやく映画化することができた今、監督はこの作品を両親にささげています。
スポットの当たる人が交代していきます。さまざまな人物の登場によって、この事件の真相が明らかにされていきます。
物語
1939年9月17日、ポーランド東部を流れるブク川にかかる橋の上は、ドイツ軍に追われて西から東へ逃げる人々と、ソ連軍から逃れるために東から西へと向かう人々で混雑していました。クラクフからやってきたアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)は娘・ニカ(ヴィクトリャ・ゴンシェフスカ)の手を引きながら、夫アンジェイ(アルトゥル・ジミイェフスキ)を探すために東へと橋を渡っていました。ソ連軍の捕虜となった将校たちの中にアンジェイを見つけたアンナは、一緒に帰るよう夫に懇願します。自分だけ逃れるわけにはいかないと断ったアンジェイは、アンナの見ている前で軍用列車に乗せられました。列車に乗ったアンジェイは、これから起きるすべてを手帳に書き記そうと心に決めました。
アンジェイの父であるヤン教授はドイツ軍に抵抗していたが、他の教授たちとともにザクセンハウゼン収容所に送られました。
ロシア人少佐の助けを得て、クラクフに住むアンジェイの母(マヤ・コモロフスカ)のもとへ逃れることができたアンナとニカは、アンジェイの母とともにアンジェイの帰りを待ちました。
1943年、ドイツ軍はカティンで虐殺された多数のポーランド将校の遺体を発見したと発表し、犠牲者のリストが新聞に載りました。そこには、アンジェイの名はありませんでした。しかし1945年、クラクフがドイツ軍の占領から解放されたとき、アンナは、アンジェイの友人イジェ(アンジェイ・ヒラ)から、アンジェイに貸したセーターのせいで、自分とアンジェイが間違えられて報告されたと聞かされます。
アンナの甥のタデウシュ(アントニ・パヴリツキ)は、美術大学入学を希望していましたが、高校校長のイレナ(アグニェシュカ・グリンツカ)から、履歴書に父親がカティンで死んだことを書かないようにと説得されます。カティン問題は、ポーランドでは触れてはいけない問題になっていたのです。しかしタデウシュはこれを断り、やがて警察に追われる身となります。
イレナ校長の妹のアグニェシュカ(アグニェシュカ・グリンツカ)は、兄の遺品であるロザリオを司祭から受け取りました。アグニェシュカは、兄のために建てた墓碑に「1940年カティンで悲劇的な死を遂げた」と記しました。ドイツ軍が行ったポーランド人将校の遺体発掘のとき、カティンで葬儀を行った司祭とアグニェシュカを、秘密警察が監視していました。
犠牲者の遺品を管理するクラクフ法医学研究所の助手グレタは、隠れるようにしてアンナの家を訪れました。グレタは、扉を開けたアンナの手に、カティンで発見された一冊の手帳を渡しました。
カティン事件はナチス軍が行ったのか、またはソ連軍なのか不明確でした。ソ連政府がそれを認めたのは1989年のことです。どの地にもある隠された事実。しかし、真実が明らかになるには長い時が必要です。犠牲となった人々が報われるためには、あまりにも長すぎると思います。
一貫してポーランドの辛い時代を描いてきたアンジェイ・ワイダ監督にとって、「カティンの森」は重要な作品となりました。アンジェイ・ワイダ監督は「今日、歴史の果たしている役割は、以前よりずっと小さくなっています。人間の意識の歴史が占める場所を取り戻すために、たたかわなくてはならないのです」と語っています。