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プリピャチ チェルノブイリ原発事故から12年後の現実
2012年 2月
PRIPYAT
- 監督・撮影:ニコラウス・ゲイハルター
- 配給:UPLINK
1999年 オーストリア映画 100分
- 第イスタンブール映画祭国際ドキュメンタリー賞
- オーディヴェーラス映画祭グランプリ
- ニヨン映画祭審査員賞・観客賞
- ディアゴナーレ・オーストリア映画祭グランプリ
- ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ
1986年、チェルノブイリ原子力発電所の4号炉で爆発事故が起きた。原子炉が破壊され、火災は2週間続いた。大量の放射能が広がり世界中に影響を与えた。
「プリピャチ」は、チェルノブイリ原子力発電所から約4km離れたところにあり、原発で働く人が住んでいた街である。恐ろしい事故の後、原発から半径30kmが立ち入り制限区域となった。そこは「ゾーン」とよばれている。
だれも住んではいないはず、立ち入ってはいけないはずのゾーンの中で、働き、暮らす人がいる。そんな人々に、ニコラウス・ゲイハルター監督はカメラを向けた。音楽はなく、彼らの語る言葉と歩くときの音だけが、静かな街を背景に聞こえている。
立ち入り制限区域の入口で警備している軍人は、1992年から働いている。
事故前、プリピャチ市の環境研究所で働いていたジナイーダは、今も同じ研究所で働いている。調査を依頼された物質の放射線量などを調べている。以前は街の中に住んでいたが、今はキエフから通っている。時々、住んでいた家を見に行っていたが、打撃を受け立ち直るのに数日かかった。「ゾーン」という言葉はキライ。
かつて住んでいた家に連れて行ってくれた。通勤路だった道は荒れ果て、樹木が枝をはり、草が生えている。道なき道を、彼女はどんどん進んでいく。鳥さえ飛んでいない。完全に空っぽの街。「土壌が汚染されているから、風の強い日は危ない。100年たっても、150年たっても住めないでしょう」と言う。
ニコライは、チェルノブイリ原発で働いている。仕事場を案内してくれた。原発の心臓部である原子炉室までも見せてくれた。途中、原発事故のがあった4号機の横を通る。防護服は着ていず、白衣だけである。仕事は燃料棒を交換し、修理すること。何か起きたときは、配水管を遮断する。「食事は会社が負担してくれる。健康を損なうわたしたちへの配慮だ」と言う。さらに、「放射能は見えない。人体に影響はあるだろう。恐らく将来、被害は出るだろう。しかし、そのときはそのときのこと。一番悪いのがガンマー線。家族を食わせないといけないから」と言う。15,000人が働いている。
防護が何もなされていないことに驚く。彼らは、放射能の恐ろしさを理解しているのだろうか? 怖い。
高齢のオリガとアンドレイ夫妻は、チェルノブイリに住んでいる。一端は移住したが、戻ってはいけないところに戻ってきた。ここで生まれ、ここで生きていく。プリピャチは5本の川という意味。30km先でドニエプル川に合流する。「プリピャチは美しいところだった。この湖畔で生まれた、ここで死にたい。」二人は雪道を歩き、凍った川へ水を汲みに行く。
「恐らくここには、人間は二度と住めないだろう」。プリピャチに、福島の街が重なる。福島第一原発から30km圏内の12年後は・・・。