home>シスターのお薦め>お薦めシネマ>放射能を浴びた[X年後]
お薦めシネマ
放射能を浴びた[X年後]
2012年 9月
- 監督:伊東英明
- ナレーション:鈴木省吾
- 出演:山下正寿、野口邦和、高橋博子、和田忠明
- 配給:ウッキー・プロダクション
2012年 日本映画 83分
文部科学省選定(青年向き・成人向き)
日本映画ペンクラブ推薦
カトリック中央協議会・広報推薦
ハワイ国際映画祭2013スプリングショーケース正式出品
- 南海放送開局60周年記念事業
- 2013年日本民間放送連盟賞特別表彰部門「放送と公共性」《最優秀》
- 2012年度キネマ旬報ベストテン<文化映画部門>
- 第50回ギャラクシー賞報道活動部門<大賞>
- 2012年度日本映画ペンクラブ・ベスト5<文化映画部門>
- 第30回(2012年度)日本映画復興賞 奨励賞
- 第4回 座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル コンペティション部門入賞
- 第37回2012年度シネ・フロン読者ベストテン<日本映画部門>
- 2012メディア・アンビシャス大賞<映像部門>
東日本大震災による福島原発事故により、放出された放射能は、今後のわたしたちの生活にどのような影響をあたえていくのでしょうか? 被災された方々、なれない地に避難し不自由な生活を余儀なくされている方々は、今後、どのように生活を立て直していけばいいのでしょうか? なによりも、放射能の人体への影響は? ドキュメンタリー映画「放射能を浴びた[X年後]は、まさに、この問いにヒントをくれるでしょう。
広島と長崎に原爆が投下されたわずか9年後、米国が太平洋のマーシャル諸島で大規模な水爆実験を行いました。この映画には、その実験がもたらした放射能の[X年後]が描かれています。
1954年3月~5月まで、米国は太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁で、キャッスル作戦と称した水爆実験を行いました。実験は6回行われましたが、最初の3月1日の水爆実験は「ブラボー」と呼ばれ、広島に落とされた原爆の1,000倍以上の破壊力がありました。マーシャル諸島はマグロの豊かな漁場で、たくさんの船が漁をしています。この時期、日本の各港からも、たくさんのマグロ船がマーシャル諸島に向かっていました。第五福竜丸は、実験の行われたすぐ近くで漁をしていました。乗組員たちは、まぶしい閃光とキノコ雲を見、珊瑚礁が破壊されて空から降る「黒い雨」を体に受けました。
水爆実験後のきのこ雲
第五福竜丸の行路
大量の放射能を受けた乗組員たちは、吐き気など、すぐ被爆の症状が出ました。3月14日に焼津港に戻りましたが、彼らを待ち受けていたのは、白衣を着た人々でした。乗組員とマグロに当てられた放射線量を量るガイガーカウンターは、大きな音を立てました。彼らは即入院し、大量のマグロはすべて廃棄処分となりました。
この事件は大きなニュースとなりました。この海域には、他にもたくさんの船が漁をしているか、漁場に向かって走行中でした。政府は、この海域で操業していた船は申し出るようにとし、新聞にも報道されて日本中がマグロ騒動となりました。しかし、大きく問題視されたのは第五福竜丸で、それ以外の船と乗組員たちの被害の記録は、明らかにされませんでした。
被災されたと記録されている856隻の船の内、270隻が高知籍の船でした。そのことを知った高知県の高校教師・山下正寿先生と生徒たちは、1980年代に地道で詳細な調査を行いました。山下先生はその後も、乗組員たちへの聞き取り調査を続けています。その様子を愛媛の南海放送が取材して、年を重ねて放送しました。2012年に日本テレビ系で放送された「放射能を浴びたX年後」に、新しい映像を加えて、このたび映画版が完成しました。
調査を続ける山下先生
国民に知らされていなかったことが、次々と出てきます。今、福島原発事故に対する東京電力と政府の対応を見ると、このときとなんら変わっていない国の姿勢が見えてきます。同じことを繰り返しいてはいけないと、思います。マーシャル諸島の実験で、若くして被ばくした漁師たちが、その後どのようになったのか、米国と日本政府はどのような対応したのか、このことを知ることは、3.11後の日本を知ることにもつながっていきます。
第五福竜丸は、現在東京・新木場にある夢の島公園の一角に展示保存されています。
→ 都立第五福竜丸展示館サイト
第五福竜丸展示館
館内に展示されている第五福竜丸