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 李藝 最初の朝鮮通信使

2013年 6月

  

李藝

  • 監督・構成:乾弘明
  • 音楽:井内竜次
  • 音楽監督:引地康文
  • ナレーター:小宮悦子
  • ナビゲーター:ユン・テヨン
  • 配給:東京テアトル・平成プロジェクト

2013年 日本・韓国映画 1時間11分


「朝鮮通信使」。室町時代の1375年から、しばらく途絶えた時代もありましたが、江戸時代の1811年までの長い間、朝鮮王朝から日本に、友好のために通信使が送られました。

倭寇が暴れ回っていた時代、倭寇は朝鮮半島を襲い、内陸の村までも攻めていました。人々は倭寇を恐れました。倭寇を取り締まってほしいと日本に訴えるため、使節が送られました。この命がけの使命を負ったのが、李藝(りげい、韓国読みでイ・イェ)です。彼は、28歳から71歳までの間に40回以上も、朝鮮半島と日本の間を往復しました。こんなに活躍した人なのに、日本で彼の名は知られていません。この危険な旅に、李藝はなぜ何度もいどんだのでしょうか。

韓国の人気俳優ユン・テヨンが、李藝が歩いた釜山から京都までの道を辿りながら、李藝の思いを探っていきます。ナレーターは、キャスターの小宮山悦子さんです。

朝鮮半島の出発地・釜山から、朝鮮半島と日本の中間にある対馬に渡り、博多に着きます。博多では、一人芝居で李藝の生涯を演じる中島淳一さんに会います。李藝は8歳のとき、攻めてきた倭寇によって母親を拉致されますが、その母を捜しに、日本に何度も渡ったと言います。

李藝
(C) 2013 李藝啓蒙推進実行委員会


下関から瀬戸内海に入り、下蒲刈、鞆の浦、牛窓へと進みます。室津は最後の港となります。室津の先は明石海峡となり、流れが速くなって危険なので、ここからは陸路を進みます。神戸、大阪、そして目的地の京都に着きます。

李藝
(C) 2013 李藝啓蒙推進実行委員会


李藝
(C) 2013 李藝啓蒙推進実行委員会


ユン・テヨンは、これら朝鮮通信使が通った地を歩きながら、土地の人々と語り、ゆかりの寺や建物を訪ユン・テヨンは、これら朝鮮通信使が通った地を歩きながら、彼らが歓迎を受け、宿舎となったゆかりの寺や建物を訪れて話を聞きながら、また土地の人々と語い、李藝に思いを馳せます。李藝は、人々と触れ合うことで互いの理解を深め、信頼を強めていったのでした。

昨年の夏、日本の韓国大使館主催の「第3期 SNSリポーターの旅」が行われました。応募によって選ばれた21人の大学生は、韓国を訪問し、その様子をSNSをとおしてリポートしました。彼らが、ソウルから釜山まで朝鮮通信使の道を、4泊5日で辿った様子も映し出されています。

朝鮮通信使たちが出会った困難、戸惑い、喜びを、今、大学生たちが同じように感じる姿が映し出されます。アジアの中での日本の歴史を、あまり学ばない日本の教育に対し、韓国では小さいころから独島(韓国では独島ドクト、日本では竹島)について学んでいます。韓国の大学生たちとの出会いの場では、日本からは想像できない韓国の人々の思いが語られます。なかなか難しい問題です。韓国の学生からは、「国と国ではなく、人間と人間として仲良くなるべきだ」という言葉が出ます。

その土地の食べ物をとおして日本文化と触れ合い、土地の人々と語って日本を理解していった李藝。何度も行き来する中で、母を奪われた憎しみを、深い愛に変えていった李藝の生き方は、今の緊張した関係を生きているわたしたちに、大きな課題を与えています。

短い時間の中に、李藝の働きをとおして、日本と韓国の歴史を分かりやすくまとめているすばらしい作品です。李藝たち通信使を大歓迎した当時の日本の人々、ユン・テヨンの訪問を喜ぶ町の人々、関係施設で説明する住職や担当の人々、日本と韓国の大学生たちの姿を見ながら、他者を認め、迎え入れていくことのすばらしさに心があたたかくなりました。


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