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シスター今道瑤子の聖書講座

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聖パウロ女子修道会会員 シスター 今道瑤子

第3回 マタイ1章1~17節 イエス・キリストの系図 2

イエス・キリストの系図 (マタイ1.1~17)

▽ 第1部 2節~6節

アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを(1.2)…… エッサイはダビデ王をもうけた(1.6)

ここに連らなる男性は アブラハム以下ダビデまで、*2 太祖たちや士師時代の人物です。
 「A(男性)はA’(男性)をもうけ」というパターンの繰り返しからなる系図は、5度そのパターンを破り、「A(男性)はB(女性)によってA’(男)をもうけ」と、系図に女性の名が加えられているのです。第1部に登場するのは、タマル、ラハブ、ルツ、第2部にはウリヤの妻、第3部にはマリアと、合わせると系図に5人の女性が登場します。そしてマリア以外はみな、よそもの(異邦人)です。

▽ 第2部 6節後半~11節

ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ(1.6b)……ヨシヤは、バビロンに移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた(1.11)

第2部に登場するのは、紀元前587年、バビロニアによってユダの国(=ダビデ王国)が滅ぼされ、王侯貴族、祭司や有能な職人たちが捕らえられて バビロンの周辺に強制移住させられるまでのダビデ家の歴代の王たちです。

イスラエル民族の王は本来、民が神に誠実に生きるように導くはずの者だったのですが、ここに挙げられている王たちは、ダビデ、ヒゼキヤ、ヨシヤを除けば、民を導くにふさわしい王とはいえない人物でした。

▽ 第3部 12節~16節

 バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ(1.12)…… ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった(1.16)

2 節から15節までの「AはA’をもうけ」のパターンは 16節で崩れ、「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」とあります。それまではいつも動詞が能動態なのに、最後のイエスは「生まれた」と受動形と表現されるだけでなく、それまでの「某によって」という男性の介入が省かれています。ここには、神の働きが介入したことの暗示を読むことができるでしょう。やがて、誕生物語では、それは「聖霊による」懐妊だったと説明されることになります。

第3部に登場する人物のうち7名は、旧約聖書にその名さえとどめていない人たちです。
系図に一定のリズムを与えているパターンを崩して挿入されていた女性たちは、マリア以外みな異邦人であり、なかには遊女もいれば、姦通者もいます。そしてそこに名を連ねる高名な義人たちも、マリア以外はみな罪を体験した者ばかりです。

ダビデはもちろんのこと、アブラハムさえ、身に危険が迫れば妻が犯されることもしかたないとしたことが2度もあったのです。こういう事実は、いったい何を意味するのでしょうか。

神の救いは、このような人すべてをとおして、神のあわれみによって 紡ぎだされていくことを語ってくれます。マタイは福音書をとおして、キリストの絶対的なあわれみを説いています。


トーラーの巻物

第2部の結びと 第3部のはじめにバビロンへの移住が繰り返され、強調されています。捕囚はイスラエルにとって、王と故国を失い、いけにえの祭儀を行うことのできる唯一の場、エルサレム神殿を失った開国以来の試練でした。彼らの神がバビロンの神に負けたのか、それとも自分たちが神に捨てられたのか……。

この絶望状態にある民を、神は預言者たちをとおして 立ち直らせてくださいました。預言者たちは失意の捕囚民を鼓舞していいました。「これは、あなたたちが罪から立ち直るために許されたことだから、へりくだって忍ばなければならない。主はわたしたちを捨てたどころか、みずからこちらに来て、今もわたしたちととにいてくださる。昔先祖をエジプトの奴隷状態から救ってくださった主は、時が来れば、新しい *3 エジプト脱出ともいえる すばらしい仕方でわたしたちを救ってくださる。あなたたちは契約を破ったが、誠実な神は、石にではなく心に刻まれた新しい契約を結んでくださる」と。

捕囚は試練の時ではありましたが、回心の時、神の言葉の再発見の時でもありました。この時代に神の言葉の編集にも力が入れられ、ユダヤ人が *4 トーラーと呼び、わたしたちが *5 モーセ五書と呼ぶ本が1巻にまとめられるための大切な準備や、預言者の言葉の編集も進められました。

▽ 結び 17節

こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまでが14代である(1.17)

歴史書を調べてみますと、実際には14代ではなかったことがわかっていますが、著者は歴史の3つの時代を区切りよく14代ずつに整理しています。なぜ14代なのかについては、いくつかの憶測がありますが、1つだけ紹介しましょう。

ユダヤ人はよく数の遊びをしますが、ここでも それがあるのではないかということです。

ダビデは、ヘブライ語ではdwdの音価に相当する3つの子音からなっています。アラビア数字を輸入するまで、彼らは数値をアルファベット文字で表していました。dwdの文字を数値に変えると4.6.4となり、その合計は14になります。預言者が神の言葉として「わがしもべダビデ」と呼んでいたメシア王、救い主イエスを強調する遊び心ではないかと、わたしは思っています。

注:

*2 太祖たちや士師時代
太祖(神から選ばれ、イスラエル民族の祖となった人々、アブラハム、イサク、ヤコブ)と、士師(約束の地カナンに入ってから、王制が確立するまで、特に他民族からの危機に際して、イスラエルの民を導いた人々)の時代。
*3 エジプト脱出
エジプトに移住したイスラエルの民は、重労働に駆り出され奴隷状態にありました。その民の叫びを聞いた神が、エジプトから脱出させ、約束の地へと導きました。  このエジプトからの脱出は、イスラエルの民だけでなく、解放を求めるすべての人々にとって、救いのしるし、原点となっています。
*4 トーラー = *5 モーセ五書
旧約聖書のはじめにおかれた5つの書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)をまとめていいます。「モーセをとおして与えられた教え」です。
 ヘブライ語のトーラーは「教え」ですが、ギリシア語に訳されたとき、ノモス(律法)とされるため、日本語でも「律法」と訳されることが多いです。

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