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シスター今道瑤子の聖書講座

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聖パウロ女子修道会会員 シスター 今道瑤子

第4回 マタイ1章18~25節 イエス・キリストの誕生の次第 2

ここで脱線のように見えるかもしれませんが、マタイ福音書と旧約聖書の引用について触れておくのが役立つかもしれません。

マタイ福音書は 他の福音書に比べて旧約聖書の引用がめだって多いのですが、とくに誕生・幼年物語にきわだっています。マタイ福音書全体での引用例19件のうち5つが この2章に集中しています。

旧約聖書からの引用は マタイの場合「……は、主が預言者を通して言われていたことが成就するためであった」という決まり文句に導かれています(☆1.22、2.15,17,23 参照)。このような決まり文句(専門用語では定式句)は、マタイがイエスの出来事を旧約聖書の成就と受けとめていたことを 示しています。この著者の態度の背景には、旧約聖書をとおして一貫している 神の言葉の力に対する深い信仰があります。その好例として イザヤ書55章8~11節を読んでみましょう。

 
 8 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
    わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。
 9 天が地を高く超えているように
    わたしの道は、あなたたちの道を
    わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。
10 雨も雪も、ひとたび天から降れば
    むなしく天に戻ることはない。
    それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
    種蒔く人には種を与え
    食べる人には糧を与える。
11 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
    むなしくは、わたしのもとに戻らない。
    それはわたしの望むことを成し遂げ
    わたしが与えた使命を必ず果たす。

誕生幼年物語の人名、称号、地名などの背後には、それらの名が旧約聖書で担っていた意味が隠されています。

☆ イエス

マタイにとってイエスは、ある意味で旧約聖書において イスラエルの民がたどった救いの道を、自らの身において体現し完成するかたなのです。この短いパラグラフに イエスの名は3回、冒頭と結びの節と中間に記され強調されています。

誕生告知のなかで ヨセフは「生まれる子をイエスと名づけなさい」という命令を受けますが、24節にわざわざ「その子を イエスと名づけた」と明記され、生まれた子がイエスと名づけられたことが強調されています。21節には、生まれた子を なぜイエスと名づけるのかが「この子は 自分の民を罪から救うからである」と明記されています。

イエスという名は、旧約聖書に登場するモーセの後継者、ヨシュアのギリシア語訳です。ヨシュアは イスラエルの民を約束の地に導き入れた人ですが、イエスはまさに約束の地が象徴していた決定的救いに導くかたです。

マタイ福音書には イエスの名が150 回も見られ、強調されています。誕生物語の冒頭で「神は救う」という名が与えられたということの意味は、イエスが十字架につけられる場面で、さらに明らかになります。

マルコ福音書によれば、イエスの十字架に記された罪状書きは「ユダヤ人の王」でした。マタイだけは「これは ユダヤ人の王イエスである (27.37)」と、「イエス」を加えています。

誕生物語で イエスと名づけられた理由を述べたさいには、どのような形でその救いを実現されるかについては触れていませんでした。十字架の罪状書にこの名が加えられることにより、あの誕生物語においてイエスという名を与えられ、その名の意味が「自分の民を救うかた」と説明されたかたの救いの働きは、ほかならぬ十字架での死という、逆説的な仕方で実現したと述べるために、マタイは 罪状書きにイエスという名前をつけ加えているのでしょう。

マタイ27章37節の罪状書きに加えられている「イエス」という名は、イエスという名の意味の実現の場としての 十字架を浮き彫りにしているものであることがわかります。


聖ヨセフ

☆ ダビデ

系図のなかでは ダビデがたいへん強調されていましたが、このパラグラフでもヨセフの夢まくらに立った天使が「ダビデの子ヨセフ」と呼びかけることにより、どうしてイエスが ダビデの家系に属することになるかを説明しています。

系図ではイエスにいたるまではずっと「男性AがBをもうけ」という描写が続き、イエスの場合だけ、「このマリアから メシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」とありました。マリアが ダビデの家系ということは何も触れられていません。

イスラエルでは 父親が子どもに名をつけるということ即生まれた子が自分の子であると認めることを意味しました。ヨセフが その子をイエスと名づけたとここにわざわざ繰り返されている事実は、イエスがダビデの末裔であるヨセフによって、ダビデの血統の者と承認されたことを意味するのです。

マタイの誕生物語では ルカの場合と違ってヨセフが主役をつとめています。このヨセフという名は旧約聖書に親しむ人々にとって、創世記37章以降の主人公で夢解きの名人でもあった 義人ヨセフを想起させます。

ヨセフは兄弟のねたみをかってエジプトに売られ、さんざんな目にあったにもかかわらず、恨みを晴らす機会に遭遇しても、兄弟をゆるし、イスラエルの民を飢えから救った義人です。このように誕生物語の深い意味は 旧約聖書の背景を知れば知るほど、味わい深いものとなります。

☆ インマヌエル

テキスト自身が「神は我々と共におられる」と解説してくれています。イエスをこう名づけるのは もはや人間ではなく神ご自身です。系図によれば、イエスは信じる者の父アブラハムの子であり、ダビデの子でしたが、同時に、そのかたにおいて神がわたしたちと共にいてくださる インマヌエルでもあります。

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