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シスター今道瑤子の聖書講座

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聖パウロ女子修道会会員 シスター 今道瑤子

わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した 2

ヘロデ、子供を皆殺しにする(16~18)

2:16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。 そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。17 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。

2.18 「ラマで声が聞こえた。
激しく嘆き悲しむ声だ。
ラケルは子供たちのことで泣き、
慰めてもらおうともしない、
子供たちがもういないから。
 (エレミヤ 31.16 参照)」

ヘロデは権力志向が強く王座をねたみ深く守った人として歴史に知られた人物ですから、ここに記されているような虐殺を実行したとしても不思議ではありません。しかし、史実であるとの証拠は残されていません。むしろ、著者の神学を展開するうえでの物語だと思われます。

著者は6~18節をエジプト脱出の出来事と対照的に展開しています。エジプト脱出のリーダーとなるモーセは、イスラエル人がエジプト国内にはびこるのを恐れたファラオの命令によれば殺されるはずでした。「イスラエルの男児は出生後直ちに殺すように」との命令が出されていたからです。しかしモーセは、神の摂理によって死を免れました(出エジプト 1.15~2.10)。そのように幼いイエスも、主のはからいにより義人ヨセフに伴われてエジプトに逃れることで、ヘロデの魔手を免れます。

エレミヤ 31.15を引用する場合には「預言者・・・が実現した」とあって「実現するためであった」ではないことに注目しましょう。マタイは微妙に表現を変えることにより、ヘロデの殺りくはエレミヤの預言のが成就ではあっても、無辜の者たちの虐殺は神が望まれたことではないことを暗示しています。

エレミヤ31.15は、紀元587年、ダビデ家の王国がバビロニア王ネブカドネツァルに敗れ、エルサレムが神殿もろとも破壊しつくされて、王侯貴族や司祭、高官、有能な職人らが捕虜としてバビロンにひいて行かれた、いわゆるバビロン捕囚のときのものです。

ラマはベツレヘムに近い町の名で、エルサレムが陥落したさい、捕囚の民はここに集結させられてエレミヤに別れを告げ、ネブカドネツァルが陣を張っていたシリアのリブラに向けて出発しました。そのなかのある者たちはリブラで処刑され、命が助かった者らはバビロンに引いていかれました。

このラマには、イスラエルの十二部族の祖であるヤコブの最愛の妻ラケルの墓があります。ラケルはヤコブの末子ベンヤミンの産後の肥立ちがわるくラマで死に、ベツレヘムの近くに葬られました。エレミヤ書では、子孫の不幸を嘆き泣くラケルに対し、神による解放、すなわち新しいエジプト脱出の予告があり、続いて、最初の契約を破ったイスラエルの民に対して神が新しい契約を結んでくださるときが訪れるという喜ばしい預言が続いています。

したがってマタイがここにこの引用をした理由は次のように考えることができます。エレミヤ書はバビロンの捕囚からの帰還を語っていますが、マタイはエジプトから呼び出されるイエスのうちに、バビロンからの解放が志向していた、罪から神の支配に向かっての脱出、新しいエジプト脱出のリーダーを見ると同時に、エレミヤやエゼキエルの預言していた新しい契約をご自分の命をいけにえとしてささげることにより締結してくださるかたを見ているのだと思われます。

エジプトから帰国する(19~23)

2.19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、2.20 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」2.21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。2.22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、2.23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

彼はナザレの人と呼ばれる」との文字どおりのテキストは聖書には見つかっていません。ここにはたぶん言葉の遊びがあります。「ナザレの人」と訳されている単語はナジル人(nazir)と呼ばれる、神に特別の願をかけて神のために取り分けられた(カトリック用語では聖別された)人と若枝(netzer)の語呂合わせではないかと主張する学者がいますが、はっきりしたことはわかりません。

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