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キリシタンゆかりの地をたずねて
徳島県 阿南市
西光寺
西光寺 | 足利義稙、足利義栄、足利義冬の墓 |
西光寺は、阿波公方の菩提寺です。 義稙、義冬、義栄の三基をふくめ、この墓所内に23基の墓があります。
昭和17年の西光寺の火災のため国宝の阿弥陀如来をはじめ貴重な古文書を焼失しました。このため、過去帳も燃え、代々の公方の墓についても今わかっているのは14基だけです。
室町幕府の10代将軍・足利義稙と14代将軍・足利義栄、そして阿波(平島)公方・足利義冬の三人の墓が並んであり、その前には、「阿波公方の由来」についての説明が書かれていました。
阿波公方の由来
室町幕府10代将軍足利義稙(あしかが よしたね)は時の管領細川高国の専横をいきどおり淡路を経て阿波国撫養(むや)に来りここに病歿す
その子義冬は永禄年間那賀郡平島庄、西光寺に入り古津の平島館を修築してここに移り天下をうかがう、これ初代阿波公方(平島公方)なり、長子義栄(あしかが よしひで)阿波の三好氏により擁せられて上洛し志を得て14代将軍となるもあしかが義昭を奉ずる織田信長の勢力に追われ阿波国に帰り撫養に病歿す弟義助は古津の平島館にあって上洛の機会をうかがいしも阿波公方の支持者阿波細川氏滅びこれに代る三好勢力もまた土佐の長曽我部勢力の侵入により滅亡し雄図空し挫折す、その後義種、義次、義景、義辰、義武、義宣、義智を経て、文化2年公方は約250年間、古津の平島館に在住し義根の時代に阿波漢文学のめざましい興隆を来せり世人よんで「公方さま」といい尊崇の念あっく那賀川町赤池の西光寺を訪へば第10代将軍義稙(恵林院殿贈一品征夷大将軍巌山道寂大禅定門)及び初代阿波公方義冬(慶林院殿実山道詮大居士)第14代将軍義栄(光徳院殿玄山道英大居士)をはじめ歴代公方の墓石が現存し「風雪に耐え苔むして 往年の面影を偲ばしむ」
- 住所:徳島県阿南市那賀川町赤池185
- アクセス:JR牟岐線「阿波中島」駅下車 南西約100メートル
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