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キリシタンゆかりの地をたずねて
兵庫 明石市
船上城(ふなげじょう)址
四国征伐の後、関白となった豊臣秀吉は、大規模な国替えを行いました。この時、高山右近は高槻4万石から、明石6万石への国替えを命じられました。明石に入封した右近が築城した城が、船上城です。
高山右近が明石を治めた際、城内にあった宝蔵寺が教会とされて宣教師が常駐し、2千人が信徒となったと言われています。
1587(天正15)年に秀吉がバテレン追放令を発布し、信仰を捨てなかった右近は追放され、明石は秀吉の直轄領となりました。
関ヶ原の戦いの後、播磨の太守になった池田輝政は、船上城を支城としていました。その後、江戸幕府は「一国一城令」で、支城として使われなくなりました。
1617(元和3)年に小笠原忠政(ただざね)が明石の領主となり、1619(元和5)年に明石城を築城し、船上城は廃城となりました。
しかし明石城やその城下町には、船上城から移築され利用されているものが数多くあります。
現在、城跡はほとんどが宅地や農地になっていますが、本丸跡に、古城大明神が建立されています。?の台座の穴から城址碑を見ることができます。
古城大明神が建立された地は、私有地です。公開はされていません。
- 住所:〒673-0025 兵庫県明石市田町2丁目10
- アクセス:山陽電気鉄道本線西新町駅下車 徒歩約10分
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