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キリシタンゆかりの地をたずねて

兵庫県 伊丹市

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有岡城跡(有岡城跡史跡公園)


有岡城跡

南北朝時代に伊丹氏によって建築されました。1472(文明4)年に改築され、日本最初の天守閣が築かれました。
 1574(天正2)年、荒木村重によって攻め落とされ、大改修されて「有岡城」と改名されました。

 1578(天正6)年、荒木村重が織田信長に突然謀反を起こし、「伊丹城の戦い」とも呼ばれる籠城戦となりました。単身有岡城に来城した黒田孝高(官兵衛)は、村重によって有岡城は開城まで幽閉されました。

 この後戦いで、高山親子の説得のためオルガンティーノ神父とロウレンソが高槻城に入りました。右近は、剃髪して全てを返上して人質とキリシタンの両方を救おうと考え、信長の元に赴きました。父友照は、有岡城へ行き人質の身代わりになることを申し出ましたが、許され彼も人質も処刑されませんでした。

 村重は、夜陰にまぎれて船で尼崎城に移り、有岡城落城後は毛利氏を頼り、豊臣秀吉が政権を握ると茶道を極め、利休十哲の1人となりました。

有岡城跡石垣 礎石建物跡
有岡城跡石垣 礎石建物跡

1580(天正8)年、池田之助(ゆきすけ)が城主となったが、同年美濃の国に移封を命じられ、有岡城は廃城となりました。江戸時代には堀跡や土塁が残っていましたが、1893(明治26)年の鉄道の開通によって、大半が取り壊されました。
 1975(昭和50)年から発掘調査が行なわれ、から行なわれた発掘調査により、土塁の石垣や建物跡など、貴重な遺構が残されていることがわかって、国史跡に指定されました。

 現在は、史跡公園が整備され、黒田官兵衛ゆかりの藤なども残っています。

有岡城跡井戸の跡 黒田官兵衛ゆかりの藤
有岡城跡井戸の跡 黒田官兵衛ゆかりの藤


  • 住所:〒664-0846 伊丹市伊丹1丁目地内ほか(JR伊丹駅前)
  • アクセス:JR伊丹駅前すぐ

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