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北山原殉教地


北山原殉教地

1629年1月12日、雪に覆われたこの地で、ルイス甘糟右衛門はじめとする43人の米沢の信徒たちが殉教しました。

 北山原は上杉藩の刑場でしたが、1669年に刑場が松原に移されたため、この地に置けるキリシタンの殉教は忘れられていました。

 1927年に赴任した、神言会のヨセフ・シェンテック神父の努力によって、北山原や糠山などの殉教地が確認されました。この地のすぐ横に新川(しんかわ)が流れているので、この場所の特定ができました。この年、教会はこの殉教地を譲り受けました。1929年には、殉教300年を記念して碑が建てられました。

北山原殉教地入り口の看板
北山原殉教地入り口の看板

北山原に立つイエス、聖母マリア、使徒ヨハネの像
北山原に立つイエス、聖母マリア、使徒ヨハネの像

現在、大樹の下に石造りの十字架が立てられ、その十字架上に等身大のイエスの像、両側に等身大の聖母マリアと使徒ヨハネの像が立っています。 このイエスと聖母マリア、使徒ヨハネの像は、ヨセフ神父の母国ポーランドから送られたものです。また、この殉教地を整備し碑を建てるにあたって、多くの地元の方からの寄付が寄せられました。

甘糟屋敷跡で発見された十字架の彫られた石
甘糟屋敷跡で発見された十字架の彫られた石

1964年、無足町の甘糟右衛門屋敷跡と思われる場所で発見された十字架の彫られた石が、この殉教地に移されました。

六地蔵:

殉教地の横にある六地蔵
殉教地の横にある六地蔵

この地蔵は、北山原の殉教地の入り口にありましたが、今は移転され、殉教地の横にあります。



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