home>女子パウロ会とは?>女子パウロ会ニュース>根っからの宣教女……Sr.内野

女子パウロ会ニュース

バックナンバー

根っからの宣教女……Sr.パオラ・マリア内野

2010/07/25


Sr.内野

台湾の宣教のために20年働いたSr.パオラ・マリア内野セツが、7月20日の朝、天国へと旅立ちました。78歳でした。今、痛みから開放され、苦しみをささげたことに対して、神さまから大きな報いをいただいていることでしょう。

        *     *     *     *    *     *    *

「死ぬまで、イエスを伝えるというすばらしい宣教を続けたい」と望みをもっていたSr.内野は、1952年、20歳のときに修道会に入りました。1956年に初誓願を立て、終生誓願を立てる前の1960年、台湾に派遣されました。中国語を学ぶのは、大変だったそうです。終生誓願を立てるために日本に戻り、再び台湾に出発しました。その後16年間、台湾の宣教のために創意工夫をもって幅広く宣教活動を行いました。

1982年、健康上の理由から日本に帰りましたが、日本でも「おりがあろうと、なかろうと」という聖パウロのことばを文字通り生きました。日曜日にカトリック田園調布教会に通っていたころは、悩みを抱えている信徒の方々の相談にのり、ことばだけの「お祈りしていますね」ではなく、実際に熱心に祈りをささげ、手紙を書いて励ましていました。「Sr.内野はいますか?」と高齢の信徒の方から、幼稚園のかわいい女の子まで、Sr.内野を慕っていました。

色紙を切って花のカードを作ったり、生活用品を集めてバザーに出店したりと、いろいろな形で人々との出会いの場を作っていました。根っからの宣教女です。

また、歌が大好きで楽しいシスターでした。祝日の食事のときには、ニコニコとマイクの前に立ちました。「長崎の鐘」や「サンタ・ルチア」を持ち歌として、身振りたっぷりに伸びた歌声を披露していました。楽しいシスターで、姉妹たちから「パオラさん」「パオラさん」と呼ばれ、周囲には笑い声が響きました。

Sr.内野 Sr.内野
通夜 献香 葬儀ミサ

Sr.内野 Sr.内野
告別式 献花 出棺

足の痛みがなかなか去らず苦しみました。悪性リンパ腫が悪化し入院生活となり、大きな目で力に満ちた声で語り笑っていた声も力がなくなりましたが、ロザリオだけはいつも手の中にありました。

多くの人々に愛されたSr.内野は、今、御父のもとで喜びに満ち、ほほえんでいることでしょう。Sr.内野、あなたの宣教熱をわたしたちにも与えてください。あなたの歩みに続く者が、ほほえみをもって多くの人にイエスを告げ知らせていくことができますように。

▲ページのトップへ