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ロザリオの祈りに支えられて、シスター市川が御父のもとへ……

2011/07/13


Sr.市川

7月9日(土)17:30、苦しい病気と戦った姉妹、シスターミリアム市川が御父のみもとへ旅立ちました。食事を摂ることができないので、数日前から入院して点滴をしてもらっていました。その日は病室で聖体拝領をし、これからのことを話していたそうです。しかしその日の午後急変し、知らせを受けてあわてて病院に駆けつけた姉妹は、待っていた医師に最期のときを告げられました。衰弱が激しく、この夏を越えることは難しいかもしれないと思っていましたが、こんなに早く逝くとは……。わたしたちも驚きました。

シスター市川は、1933年9月26日、栃木県足利市で生まれました。1955年3月25日、お告げの祭日に修道会に入りました。翌月、創立者ヤコブ・アルベリオーネ神父と、初代総長シスターテクラ・メルロの最後の訪問があり、シスター市川は、おふたりにあいさつするという大きな恵みをいたただきました。シスター市川が修道院に入ったころは、修道院が大きく発展しはじめた時代でした。支部修道院が次々と開設され、月刊誌「あけぼの」が創刊されました。

1958年6月29日、シスター市川は19名の仲間と修練期に入り、翌年6月30日、初誓願を宣立しました。日本で最初の支部である福岡支部に派遣され、その後東京で終生誓願を宣立しました。

それから30年にわたって、東京、福岡、長崎、大阪、広島、鹿児島、平塚、札幌と、全国にある支部修道院に派遣されたシスター市川は、書院と訪問宣教の使徒職にたずさわりました。デパートのセント・ポール・コーナーでも宣教し、いろいろな人々と出会いキリストのメッセージを伝えました。


葬儀ミサ 葬儀ミサ
葬儀ミサ 献 花

2008年ごろから健康が損なわれ、肝硬変と診断されました。昨年からは、入退院を繰り返していました。修道院に戻り体調の良いときは、ポストカードやメダイのセットなどの手仕事を、心を込めて行いました。夜、シスター市川の部屋に明かりがついているので、心配した姉妹がドアを開け「眠れないの?」と尋ねると、「ええ、でも大丈夫よ、心配しないで」と、ロザリオの祈りをしていたそうです。

文句を言わず、自分の病気を黙って受け取ったシスター市川を支えたのは、聖母マリアへの祈りだったのでしょう。修道名の「ミリアム」は「マリア」のヘブライ語読みです。修道生活のほとんどを、宣教の第一線で活躍したシスター市川は、今は病気の苦しみから解放されて、聖母マリアに手をとられ、御父のもとへと導かれていることでしょう。

シスター市川、後に残ったわたしたちのため、そして、これからも宣教の使徒職を続けていくために必要な新しい召命のために、今度はシスターが御父に取り次いでください。


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