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女子パウロ会ニュース
Sr.永橋、安らかにおやすみください
2014.07.09
7月6日(日)の午後、わたしたちの姉妹、Sr.マリア・パーチス永橋長子(ながはし おさこ)が、入居先の平塚の施設で亡くなりました。享年87でした。
Sr.永橋は、1951年9月28日、大阪支部に入会しました。1948年に女子パウロ会が来日して3年目、大阪支部が開設されて一か月後のことでした。当時まだ、日本語がよく話せない宣教女たちのために、よく助けの手をさしのべていました。
志願期のとき、日本の若い養成者のために組織されたラジオの初期養成コースに通い、聖パウロ修道会のパウロ・マルチェリーノ神父によって創設された、日本におけるカトリックの最初のラジオ番組作成に貢献しました。
東京で修練期を終え、1955年6月30日、初誓願を宣立し、大阪支部で普及の使徒職に献身しました。その後、聖パウロ修道会発行の雑誌の編集に携わりました。
終生誓願後、新潟の修道院の院長となり、東京に戻ってからは養成担当者の補佐として協力し、その後、書籍の編集、普及の使徒職、社会的コミュニケーション手段の使用についてのアニメーション、東京の倉庫などを担当しました。平塚支部に異動してからは、裁縫の仕事、院内のさまざまな奉仕をしました。
2007年、次第に体力が弱くなり、安心して療養できる特別養護施設に入居し、修道会の必要のために自己の生涯をささげ続けました。
献 花 | 出 棺 |
彼女の好きな聖句は、詩編119でした。この詩編119は彼女の生涯のプログラムであり、死の瞬間まで彼女の全存在を導きました。葬儀ミサの答唱詩編で、典礼聖歌の「神はわたしの足のともしび、わたしの道のひかり」を歌い、天国へと送りました。
「パーチス」の修道名のとおり、おだやかなほほえみで、すべてを受け入れていたSr.パーチス、天国で、女子パウロ会の使徒職と召命のために取り次いでください。