home>女子パウロ会とは?>女子パウロ会ニュース> 不随から解放されたSr.熊木
女子パウロ会ニュース
不随から解放されたSr.熊木
2014.09.27
9月25日(木)の夜10:50、長い年数療養していたSr.マリア・カルミネ熊木利(くまき とし)が、平塚市の病院で亡くなりました。81歳でした。
Sr.熊木は、1954年9月8日、東京修道院に入会しました。1958年に初誓願を、1964年に終生誓願を宣立しました。書院、用品仕入れ、倉庫、家庭訪問、団体訪問、製本所などさまざまな使徒職を果たし、また、東京、札幌、広島、仙台の共同体で院長を務めました。
1995年、仙台の院長だったときに脳梗塞で倒れ、左半身が麻痺しました。東京でリハビリを続け、片手でキーボードを打ち、身体の調子を見ながら、一日に数時間、原稿やデータを入力する使徒職を果たせるようになりました。シスターたちと一緒に使徒職に参与していると感じられることが、彼女にとって喜びでした。
2000年に開催された第8回総会のとき、Sr.熊木は、時の総長に次のような手紙を出しました。「大きな喜びをもって、次の総会のために主に祈り、寛大な心で主にわたしの存在、今の身体の不自由さをおささげします。この不自由さは、わたしにとって苦しみですが、医者であるキリストがなさろうとする癒しへの希望ともなっています。実際、麻痺した左腕が動く力を取り戻しつつあるように思えますが、はっきりしません。まだたくさんの信仰と希望が必要でしょう。今、総会がよい成果を結ぶように、わたしの貧しい祈りと奉献をもって貢献したいと思います」と書いています。
しかし、2008年4月に、再び脳出血に見舞われ、四肢が麻痺し、コミュニケーションすることができなくなりました。聞き、見ることはすべて理解していましたが、いくつかの簡単な言葉しか表現することができなくなっていました。どんなにか、忍耐を必要としたことでしょう。
この健康状況の重さから、2008年8月に、平塚市の病院に入院しました。その時から、ベッドが彼女の家、聖堂、日々の奉献の場となりました。身動きすることができませんでしたが、いつも頭ははっきりしており、姉妹たちの訪問を大きな喜びと感動をもって迎えていました。ロザリオを一緒に唱えることを、とても愛していました。共同体に帰りたいととても望んでいましたが、健康状態からかないませんでした。
散水・献香 |
献花 | 出棺 |
大きな苦しみの中にあっても、詩編89の一節、「主のいつくしみを歌おう、とこしえまでも」を生涯のプログラムとしてかかげていました。
使徒職をとおして出会った人々のために祈り、特に司祭職のために祈り、励ましていました。通夜とミサに、Sr.熊木にお世話になったという司祭が参列してくださり、祈ってくださいました。
今、Sr.熊木は、自由のきかない身体から解放され、軽くなって御父の御前にいることでしょう。今まで、話すことができなかったこを、思う存分、御父に話してください。やすらかに憩われますように。