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長い間の痛みをささげたSr.小倉清子が御父のもとへ

2016.11.21


Sr.小倉

Sr.落合に続いて、同じ平塚共同体のSr.小倉清子が、11月19日午前2時55分に、緊急入院した先の病院で亡くなりました。83歳でした。長い間、リウマチに苦しい、指が曲がるという痛さと不自由さに愚痴ひとつこぼすことなく、できることを精一杯果たしていたシスターでした。

Sr.小倉は東京生まれで、東京の修道院に入会しました。カトリックのご家庭でなかったので、修道会に入会するときに家族中の反対を受けましたが、お兄さんが、「わたしも皆の反対にもかかわらず自分のやりたいことをさせてもらったのだから、清子にも自分のやりたいことをさせてやってくれ」と手をついて頼んでくださったので、この道を進むことができました。Sr.小倉は、今、兄弟の中でただ一人生きておられるこのお兄さんに、とても感謝していました。

Sr.小倉は、有期誓願期から終生誓願を宣立して数年間という若いときは、乃木坂修道院の製本所で、イタリア人のSr.マリア・ジュスティーナ・ロッシの片腕となって、後輩たちに技術の使徒職を指導してきました。

しかし40代初めからリウマチにかかり、痛い思いをしました。しかし、我慢強く耐えて「痛い!」などと口にすることはありませんでした。リウマチのため手指は変形し、使徒職も限られていました。ボイラー管理とワープロやコンピュータ入力が主な使徒職になっていきました。

コンピュータ入力、手のリハビリを兼ねて、管区の文書、特に霊性関係の文書をデジタル化する作業でした。今、創立者の文書などを読み、検索することができるデジタルライブラリーのために貢献してくれました。

Sr.小倉


Sr.小倉


Sr.小倉は、強い半面、とても優しい面を持ち合わせていました。使命にすべてをささげることを望んでいました。1993年に、世界に新しく24の共同体を開設する「宣教プロジェクト」が立ち上げられたとき、総長からSr.小倉に、ナイジェリアでの創設のために祈りと犠牲を捧げるように託されました。この提案に、彼女は喜んで答え、「『わたしの国』を送ってくださってありがとうございます。ナイジェリアはわたしの知らない国ですが、ナイジェリアの人びとを心にいだきます。もう祈り始めています。わたしの小さな苦しみの数々がたくさんの人びとの役に立つと思うと、励まされ、祈り働く力が出てきます。ミサとご聖体訪問で、ナイジェリアに思いをはせます。早く共同体を開くことができるようにお祈りいたします」と言っていました。

近年は、療養のためにショートステイをくり返すようになり、2015年10月からは、平塚修道院近くの施設に入所して過ごしていました。

Sr.小倉がささげたたくさんの痛み、苦しみを、神がいつくしみ深く受け取り、なぐさめ、豊かな祝福で満たしてくださいますように。


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