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女子パウロ会ニュース
沖縄出身のSr.花城京子が天国へ
2016.12.02
亡くなる姉妹が続いています。12月1日、Sr.ドメニカ花城京子が、入居先の特別養護老人ホールで亡くなりました。66歳でした。
Sr.花城は沖縄で生まれました。沖縄の歌と踊りがとても上手で、彼女が心をこめて歌い、踊っている姿に沖縄の人々の思いや祈りが伝わってくるようでした。
修道会との出会いは、1975年に沖縄で開かれた国際海洋博でした。初めて親元を離れ、バチカン・パビリオンでの案内と宿舎での生活を、シスターたちとともにしました。そのときの体験を、次のように書いています。「毎日、大勢のお客さまをお迎えし、ご案内するということは、簡単そうに見えて、実際はハードな仕事だった。その中で、いつも笑顔で生き生きと働いているシスターを見ながら、『どうしてあんなふうにできるのかしら』と不思議に思った。この単純な疑問が、シスターの存在と生き方にわたしの目を向けさせるきっかけとなった」。
こうして、海洋博が終わるとすぐに上京し、新宿・伊勢丹デパートのセントポール・コーナーで働きながら修道生活を考え、翌年の夏に、東京修道院に入会されました。
1980年に初誓願を宣立してからは、阪急ホーリー・コーナーで働いた後、1年間、フィリピンのマニラで英語を学びながら、視聴覚コースに参加しました。日本に戻って1985年6月に終生誓願を宣立し、神戸書院、東京で訪問宣教、ミニメディア、視聴覚制作など、様々な使徒職に携わりながら、修練院でアシステンテを務めました。その後は、平塚流通センター、召命司牧活動、聖イグナチオ教会案内所、普及センターなどの使徒職に携わり、2009年4月まで働きました。
その後、アルツハイマーという病の苦しみを受け、2009年から、病気のため徐々に不安と緊張に見舞われ、2011年10月に施設に入所しました。病気は次第に体力も奪っていき、今年の10月末からは心配な状態が続いていました。
Sr.花城は、忠実で勤勉、きちょうめんで、毎日のできごとや人とのかかわりを大事にし、小さなことをていねいに生きようと努めていました。「姉妹に心を開いていくことは、私がキリストに心を開いていくことであり、私が生き生きと生きることは、修道会を生き生きとさせることにつながるのだと思うと、自分に与えられた召命を大切に、そしてよりよく生きる責任の重さを感じます。自分の召命を喜んで、忠実に生きていくことが、私にとって修道会を愛することなのです」と書いています。
Sr.花城は、「私自身をささげる祈り」という創立者が作った祈りを大切にしていました。「毎日、キリストに自己をささげよう。神がよみしてくださるいけにえとしてささげよう。…(中略)… イエスを御父にささげるだけでは足りない。わたしたち自身を、わたしたちの苦労をも御父にささげよう。イエスは、地上の生活で疲れを体験されたが、ご自分の力の限りを天の御父にささげられた。労苦と自己贈与なしには天国に行けない」。この祈りを、シスター花城はご自分の生涯をもって祈りました。