home>女子パウロ会とは?>女子パウロ会ニュース>画家として活躍したSr.矢野が、闘病の苦しみをささげ天国へ

女子パウロ会ニュース

バックナンバー

画家として活躍したSr.矢野が、闘病の苦しみをささげ天国へ

2018.12.18


Sr.矢野

病院で、最後の長い苦しみをささげていたSr.矢野が、その苦しみから解放されて天の御父のもとに帰られました。85歳でした。

Sr.ピエランジェラ 矢野滋子は、1952年、19歳で洗礼を受け、2年後のクリスマスイブに東京で修道会に入会されました。Sr.矢野はこう書いています。「当時、わたしは修道院に近い麻布に住んでいました。たびたび修道院のミサにあずかったりしていましたが、わたしとは異なる生き方だと決めていたので、あまり真剣に耳を傾けることをしなかったのです。でも、少しずつシスターたちの生活が、自分だけの幸せではなく多くの人の幸せを願って、祈りとみことばを広めるために生き抜こうとしておられるということが見えてきました」と。そして、「わたしの人生が神の栄光となり、一人でも多くの人の幸せに役立つ存在でありたいと思います」と書いておられます。

そのことばどおり、Sr.矢野は、豊かな才能と資質を生かし、多くの人の幸せのために働いて来ました。特に絵画では、養成期から、宣教活動に貢献してきました。Sr.脇田晶子の聖書物語の文章とSr.矢野の絵という、ふたりのコンビの作品は多くの作品におよびます。最初に出版されたのは小学生向け物語『イエズスのおかあさん』で、1961年、Sr.矢野が28歳のときでした。次いで、絵本『クリスマス』1963年、『きりすとさまの おたんじょう』(Sr.矢野の絵と文)1968年などが出され、当時行われていた家庭訪問宣教でたくさん普及されました。また、『ゆるしてあげましょ』を始めとした「聖書のたとえばなし」シリーズの絵本5冊は1965年~1969年にかけて出版され、1970年には、長期のベストセラーになる『旧約聖書物語』、次いで『新約聖書物語』も刊行されました。

Sr.矢野の絵が、さらに多くの人に受け入れられたのは、女性向け月刊誌「あけぼの」です。さまざまな花を題材にした表紙の絵は、1967年~2015年の最終号までの間、45年間にわたって描き続けられました。他にも「花といのりカレンダー」、クリスマスカードやイースターカード、シール、webサイト“Laudate”のアイコンなど、手がけられた作品は数えきれないほどです。「あけぼの」の表紙の原画を集めた個展も数回開催し、多くの人々が訪れてくださいました。

Sr.矢野
葬儀ミサ

聖堂の花を活け、庭の草花の世話をし、修道院の大きな祝いやバザーのときは、リーダーシップを発揮してイベントを導いていました。

Sr.矢野は、10月半ばに入院し、特に11月末からは長く苦しい闘病が続きましたが、パウロ的修道召命を感謝しつつ、走るべき道のりを走り尽くして天国に旅立って行かれました。Sr.矢野がしてくださっていた働きは、彼女が亡くなった後も、出会った人々の中で大きな芽を育ててくれるでしょう。


▲ページのトップへ