home>女子パウロ会とは?>女子パウロ会ニュース>いつも笑いが絶えない楽しいSr.小山が天国へ
女子パウロ会ニュース
いつも笑いが絶えない楽しいSr.小山が天国へ
2020.09.06
9月2日朝6時12分、平塚修道院のSr.マリア・クレメンス小山悦子が、平塚共済病院で亡くなりました。9月1日に91歳の誕生日を迎えたばかりでした。
Sr.マリア・クレメンスを語るときには、聖パウロ修道会のことを語らずに始めることはできません。
1934年、イタリアからやってきた2人のパウロ会士は、宣教のために日本の地に踏み入りました。1936年、創立者の勧めで王子の土地を購入した彼らは、王子教会を建て「新しいときが来た」と宣教活動を始めました。このとき、十条に住み本郷教会に籍を置いていた小山家は、新しくできた王子教会に移籍し、このとき、まだ子どもだったSr.小山は、聖パウロ修道会の神父から信仰教育を受けました。戦後、王子教会が焼けた後は、赤羽教会に移動し、熱心な信仰家族の中で育っていきました。
修道生活は向いていないと感じていたSr.小山は、代母をしたSr.金崎が入会許可を求めて赤坂の修道院を訪ねたとき、Sr.金崎に同伴しました。そのときひとりのシスターが「あなたも入会されたらどうですか」と声をかけ、これが修道生活を考えさせるきっかけとなりました。1954年に、Sr.小山は聖パウロ女子修道会の門をくぐりました。神さまはどう働かれるかという神秘をわたしたちに見せ、感じさせてくれた歩みです。
1963年に終生誓願を宣立し、倉庫、書籍係を務め、1871年に当時非常に活発に活動していた広島支部に訪問宣教者として派遣されました。運転手であった彼女は、後輩をいろいろの面で指導し、助けていました。
Sr.小山は戦争体験を語るときには、いつもバケツを持って「火事だ、消防だ・・」とうたいながら踊り、大きな体でこれほど身軽に踊れるものかと皆を感嘆させました。また、共同体にいつも笑いをもたらしてくれたシスターでした。
広島支部にいるとき、1974年にイエズス会より「こころのともしび」の点字の使徒職を依頼され、Sr.小山が担当しました。神戸に聖パウロ書店が完成したとき、点字部は広島から神戸に移転し、Sr.小山も異動して約10年働きました。おおらかで明るい懐の大きい彼女のもとには多くの協力者が集まり、点字の使徒職も広げられていきました。
1983年には東京に異動し、1986年から東京の台所の責任者として、1994年には福岡で、その後、名古屋支部に異動し台所の任務を一手に引き受けました。
2005年に乳がんの手術を受け、胆石の手術後は大分体調もよわり、2015年に平塚に異動してからはショートステイ、デイサービスを受けながら、生活をしていました。8月31日夜、呼吸が苦しくなり、翌日共済病院に入院し、2日の朝、弁膜症、大動脈狭窄症で亡くなりました。
通 夜
葬儀ミサ
葬儀ミサ
Sr.小山は、使徒パウロの「喜びなさい、絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」という言葉を愛していましたが、その言葉の通り、わたしたちに喜び、笑いをもたらしてくれたと感じています。
聖パウロ修道会の日本の創設者パウロ神父を愛し、尊敬し、彼からパウロ家族の基本を学んだSr.小山は今、天国でパウロ神父や姉妹たちに囲まれ、大いに笑わせていることでしょう。