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女子パウロ会ニュース
Sr.マリア・エヴァンジエリーナ本堂が天国へ
2022.09.10
聖マリアの誕生を祝う日の前日、9月7日(水)の夜 7時34分、Sr.マリア・エヴァンジェリーナ本堂昌子が、入院していた平塚十全病院にて、慢性心不全のため亡くなりました。91歳でした。
シスター本堂は、1930年12月29日、東京で生まれました。1946年12月、カトリック高円寺教会で洗礼を受けました。このとき一緒に洗礼を受けた仲間からも、聖パウロ女子修道会に入会しました。
シスター本堂は、1951年12月8日に、聖パウロ女子修道会に入会しました。まもなく、創立者であるヤコブ・アルベリオーネ神父と初代総長のシスターテクラ・メルロが来日しました。シスター本堂は、シスターテクラ・メルロと面接したときのことを、過ぎのように語っています。「プリマ・マエストラ(シスターテクラ・メルロのこと)の、あの深いまなざしで見つめられると、こちらの心の底まで見透かされるような気がしました。でもそれは恐れではなく、信頼を呼び起こすものでした。今もその印象ははっきりと残っています。」
シスター本堂は、主に書院で働きましたが、その他に、家庭訪問、中央出版社、デパート、長崎・カトリック中町教会香部屋の手伝いなどの他は、ほとんど書院の使徒職にあたりました。共に生活をした姉妹は、彼女のことをこう表現してくれました。 「自分から出て行くような、目立つ存在ではなかった。表に出るというよりは、裏方で働く人であった。おだやかで、彼女を一言でいうなら忠実な人。話をする時も遠慮せずに、何でも話せる人だった。修道会の協力者のこともよくお世話していたので、皆から慕われていた。」
葬儀ミサ
2011年に平塚修道院に派遣され、修道院の小さな書院の係をしていました。時々、身体が苦しいと度々訴えていましたが、その時も忍耐強く乗り越えていました。
2018年に、重症僧帽弁閉鎖不全症(そうぼうべんへいさふぜんしょう)で心不全になり手術を勧められましたが、高齢だからと手術は断ったそうです。その時から心臓の苦しみを背負って生きることになりました。
手術をしないという選択は、他のいろいろの病を引き起こすことになりました。2019年に平塚十全病院に入院が決まり、彼女はその時にもう修道院に帰ることはないだろうと死を覚悟し、「姉妹のみなさまへ」という手紙をしたため、共同体の責任者に託しました。
平塚十全病院に入院してからも、意識はいつも明快で、修道会から送られるものにはすべて目を通し、修道会の生活や出来事に関心をもち続けて生活をしていました。
葬儀ミサ
9月2日に平塚十全病院から連絡が入りました。シスター本堂はほとんど寝た状態でしたが意識はあり、訪問したシスターが声をかけると返答があり、短時間ですが目を開けることができたということでした。そして、9月7日聖マリアの誕生日の前日に、静かに息を引き取りました。
出 棺