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女子パウロ会ニュース
生涯、宣教の熱意を持ち続けたSr.山田絢子が天国へ
2023.04.22
特別養護老人ホームに入所していたSr.マリア・アマリア山田絢子が、4月18日午後、老衰のため亡くなりました。93歳でした。
Sr.山田は、1929年、中国の関東州で生まれ、17歳のときに大連教会で受洗されました。1951年に宮崎で堅信を受け、その数か月後、22歳で聖パウロ女子修道会に入会しました。その後、ローマで修練を受け、初誓願を立てて、神戸で書院と家庭宣教に、また中央出版社での編集や若い人の養成に協力しました。1961年に終生誓願を宣立した後は、入会した若い女性たちの養成の責任者として活躍しました。
1972年に、宣教の準備として、英語を学ぶためにアメリカ管区ボストンに赴き、1978年~1984年まで、香港、台湾に派遣されました。その後帰国し、東京で、聖品部、DM、取り次ぎで使徒職に携わりました。
Sr.山田の宣教への熱意は冷めることなく、1993年、64歳のときに、総長が世界中の会員に呼びかけた「宣教プロジェクト」に応募し、人手不足を抱える地区を助けるため、マカオの共同体に派遣されました。マカオではおもに、パウロ的な大きな宣教の拠点、多様な文化の交わる書院で、使徒職に献身しました。2009年、Sr.山田は日本に帰りました。
マカオでの最後の数年は、腰痛に悩み、杖を使って歩きながら宣教に励んいました。帰国後は、台所や翻訳を手伝っていましたが、次第と体力が衰え、転ぶことも多くなり、2020年には療養のため平塚修道院に異動し、2022年の7月にカメリア桜ケ丘に入所しました。
葬儀ミサ
Sr.山田は、自分の召命についてこう書いています。「これほどまで親に反対されて、なおかつ修道院に入ったのはなぜだろうか。祈れば祈るほど、反対されればされるほど、わたしは強められていくのを心に感じた。あれからすでに半世紀がたとうとしている。神の恵みはあふれるほどであった。わたしが修道院に入ったのは、召命という神の恵み以外の何ものでもない。『あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだ』(ヨハネ15・16)。答えは生涯、わたしの毎日で、出していかなければならない。すべてを主イエスにかけて従ったのであるから、主のみ国のために、すべての人にすべてとなるように、聖パウロの娘にふさわしく生きたいと願っている」。
葬儀ミサ
出棺
宣教に行っていた台湾のシスターがくださった言葉を記します。
シスターアマリアのご逝去を、お悔やみ申し上げます。
深い感謝のうちに、シスターアマリアを思い起こします。彼女は、わたしたちの中にあって、とてもすばらしい姉妹でした。使徒職の発展のため、また現地の若い人たちの間でパウロ的召命を育てるために、大きな助けでした。
主はきっと、「忠実な良いはしためだ。主人と一緒に喜んでくれ」という福音のことばで、彼女を迎えられたことでしょう。
シスターアマリアが聖師イエスの温かさを目の当たりにしておられる今、彼女に、わたしたちのためにとりなしてくださるよう願います。とりわけ、主がたくさんの召命を送ってくださいますように、と。
シスターアマリアのためにお祈りしています。
台湾 シスター ジュリエッタ・ローダ