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女子パウロ会ニュース
聖ヨセフのように生きたSr.山野ケイ子が天国へ
2023.06.16
特別養護老人ホームに入所していたSr.マリア・ヨセフ山野ケイ子が、6月13日の昼、老衰のため亡くなりました。89歳でした。以前から食が細くなり体力が弱まっていたそうですが、前日まで、自分で車椅子に乗って動かしていたそうで、急なお知らせに驚きました。
Sr.山野は、1933年、宮崎県で生まれ、幼児洗礼を受けました。1951年、17歳のときに、聖パウロ女子修道会の最初の支部である福岡修道院にに入会しました。入会して間もなく、川口修道院を開設するために派遣されました。ここには、聖パウロ修道会が始めた文化放送の送信所がありました。その他広い敷地では、戦後の食糧難を補うため、養豚、養鶏、畑仕事などがあり苦労したそうです。
1954年に初誓願を宣立し、福岡、大阪、名古屋、新潟、高松、長崎などの支部で、家庭宣教、裁縫、台所などの使徒職に携わり、東京の本部の宣教センターでは、印刷、書籍倉庫の使徒職を果たしました。倉庫が平塚に移動した後は、倉庫、ベールの縫製の使徒職に就きました。
Sr.山野の修道名はマリア・ヨゼフです。聖母マリアとイエスを守られた聖ヨゼフのように、控えめで静かに、黙々と自分の任務を果たしていました。仲間のシスターたちからは、「Sr.ヨゼフ」と呼ばれていました。宣教センターで一緒に働いていた会員は、Sr.山野について次のように言っています。
彼女は、印刷の使徒職をしていました。職場はいつもきれいに整頓され、印刷の仕上がりについては良いこだわりがあり、納得できるまで微に入り細に入り調整していました。仕事はとてもていねいできれいでした。
ワープロや、パソコンが修道院に導入されると、いち早く興味を示し、霊性の文章をデジタル化するために、打ち込みを手伝っていました。その後、本の仕入と倉庫を任せられ、責任感を持って任務に当たっていました。新聞から新刊書籍、話題の書籍などの情報を集め、支部書院からの注文や、問い合わせに迅速に答えていました。口数は少なく、気の会う姉妹たちとの会話は耳にしましたが、修道院にパソコンが普及してくると、その操作に夢中になっていました。
1996年に、仕入、倉庫、発送が平塚に移動し、基幹システムが稼働し始めるとその運用のメンバーとなり、忠実な仕事ぶりが姉妹たちに信頼感を与えました。約10年後、Sr.山野は徐々に健康を害していきました。
2016年にパーキンソン病と診断され、次第に病気が進み、昨年1就き特別養護老人ホームに入所しました。
葬儀ミサ
葬儀ミサ
告別式
Sr.山野は、日々の奉献について「召命に感謝しながら、今日も新たに名婦負手くださる招きに応えていけますようにと努めている。毎日、ほんとうにイエスさまを愛したいと心がけている。それは自分の存在で証ししたいと努めている」と書いています。Sr.山野は、毎朝、アルベリオーネ神父とシスターテクラ・メルロに祈っていました。Sr.山野、天国で、宣教使徒職のため、また一緒に働く人を与えてくださるよう、祈ってください。