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畑の野菜と庭の花を愛したSr.阿部勝枝が天国へ

2023.10.15


Sr.阿部勝枝

シスター マリア・ピエリーナ 阿部 勝枝は、昨日10月4日 午前7時46分、老衰のため、平塚市の特別養護老人ホームで息を引き取り、神のみもとに帰られました。92歳でした。

シスターピエリーナは、1951年12月、大阪の岸和田教会で洗礼を受け、その半年後の1952年6月、21歳のときに大阪支部に入会しました。そのころは、イタリアから宣教女が次々と派遣され、入会する人も増えていました。使徒職も発展しました。1954年3月に製本所ができ、断裁機、折り機、針金とじ機などの機械が入りました。シスターピエリーナたち志願者、修練女はイタリアから宣教女として派遣されてきたシスタージュスティーナ・ロッシの指導のもとで本格的に製本に取り組むようになりました。

1956年12月に初誓願を宣立して後、1957年~1968年の11年余りのほとんどを、家庭宣教をして過ごしています。名古屋、大阪、東京、新潟、仙台などの地域に、に単行本や月刊誌「あけぼの」などを紹介してよい知らせを運びました。宣教の働きを黙々と果たし、日本における宣教の使徒職の土台を力強く支えいました。1969年~1971年は、大阪で団体宣教に携わり、1971年~1974年は札幌と仙台のセント・ポール・コーナーで宣教の働きをしました。その後2011年まで、東京、名古屋、札幌、長崎、広島、仙台などで家事仕事をしました。


Sr.>阿部勝枝
葬儀ミサ


しかし、2010年、健康が思わしくなくなりました。胃がんの手術を受け、その後、体力は落ちていました。

シスターピエリーナは、元気で働き者、また手先の器用な姉妹でした。自然が好きで、「自然は神様との出会いの場になっている」と言っていました。支部の庭で草を取り、野菜や花を植え、果物の木を世話して食卓をにぎわわせ、姉妹たちを喜ばせていました。ご自身を振り返りながら、このように語っていました。「口が黙ると、心も閉じていく。シスターイレネが言っておられたことをよく思い出すけれど、それは、『信仰と謙そんで歩くこと、末席を選ぶこと。そこで神が待っておられる』ということ。隠れたところで誠実に生きたい」と。

2016年に誓願宣立60周年を祝われたときには、神様と修道会に感謝しながら、「小さなことを、心をこめてすることでよいのだと思う。それに導かれてきたのだから」と話してくれました。また、教皇フランシスコの「出向いて」いくようにとのことばを受けて、自分から出るために何ができるかと考え、過去に行ったプロパガンダの足跡をたどりながら、出会った人、地域のために祈っていると語っていました。


Sr.>阿部勝枝


Sr.>阿部勝枝
葬儀ミサ


今年8月に健康状態が悪化し、9月16日に高齢者施設に入所したところでした。最近になって食事が摂れなくなり、穏やかに地上での最期の時を迎えました。

シスター マリア・ピエリーナ 阿部 勝枝、わたしたちの宣教の働きのために、取り次いでください。


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