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女子パウロ会ニュース
多くの人と交流しシスター稲垣和子が天国へ
2024.10.03
9月26日朝、シスター マリア・レジーナ稲垣和子が老衰のため、特別養護老人ホーム中井富士白苑で息を引き取りました。92歳でした。
シスター稲垣は、1931年、岐阜県で生まれ、1952年、21歳のクリスマスに、多治見市の神言会で洗礼を受けました。シスター稲垣は、当時のことをこう書いています。「学生時代に、クラスのみんなで川向こうの神言会修道院に行った。美しい聖堂、広いぶどう畑、その間を読書しながら神父様が行き来し、祈っておられる美しい光景に、あっ! と驚いた。その後、教会の門をたたき、勉強をはじめることにした。これが信仰生活のはじまりだった。…… 勉強と祈りを重ねているうちに、『わたしも修道生活がしたい! 愛や恵みは受けるだけではなく、世のため、人のために働くことによって、キリスト様の十字架のお苦しみの道を知りたい!』 深い意味はわからなかったが、賛美の祈りはマリアの招きのように感じた。これが召命のはじまりだった」。
シスター稲垣は、洗礼に導かれる前から、修道者の祈る姿、晩課やマリアの賛歌の歌声に魅せられていました。おりしも本会では、名古屋教区の松岡司教の要請に応えて名古屋支部の開設を決めたときで、1954年1月、2人の志願者が派遣されました。支部を開設して2か月後、3月25日に最初の入会者を迎えました。それがシスター稲垣でした。
シスター稲垣は1958年に初誓願を宣立し、大阪・神戸の書院、東京の普及部門、名古屋での家庭宣教に励みました。管区の宣教の歴史の中で、1960年~1970年代初めは、特にデパートでの使徒職が開花し、セント・ポール・コーナーなどの名称で大いに発展した時代でした。シスター稲垣は、1963年に終生誓願を宣立した後、5年ほど、東京のデパートと名古屋 名鉄デパートのセント・ポール・コーナーで働きました。その後1年ほど広島で宣教を果たし、1969年~1979年の10年間は、東京で聖品係を務めました。
1979年~1992年の13年余りは、大浦書院、神戸書院、長崎カトリックセンターの書院で働きました。シスター稲垣は、女子パウロ会の本や雑誌を普及することに熱心でした。1992年~1999年には、大阪の信仰教育センターに勤務しています。1999年に東京に移ってからは、2015年まであけぼの普及の使徒職に携わりました。
しかしだんだんと身体に不調が出てきて、介助が必要になりました。2020年からは、中井富士白苑にお世話になりました。ひと月ほど前の8月20日ころから食事がとれなくなっていました。反応ができなくても、穏やかに最後の日々を過ごされました。
シスター稲垣のことばです。「わたしたちの生涯に偶然はなく、すべて神様のおはからいにちがいない。神様は、いろいろな出来事をとおして導いてくれる。目に見えない み手に導かれて、今があるように思う。神に感謝!」
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