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女子パウロ会ニュース
シスター原が天国へ
2025.02.23
Sr.M.パトリチア原 勝子は、2月18日午前6時58分、老衰のため、平塚市の特別養護老人ホームで息を引き取り、御父のみもとに召されました。96歳でした。昨年の秋から、意識障害などが見られるようになり、たびたび病院に搬送されました。大きな病気はありませんでしたが、だんだんと衰え、最近は食事がとれなくなってきていました。
通夜
シスター原が洗礼を受けたのは、1950年、22歳のときでした。シスター原が受洗した翌年、上田教会の主任司祭の招きで聖パウロ女子修道会の2人のシスターが、召命活動のために上田教会に赴き、シスター原とシスター徳武に出会いました。当時のことをシスター原はこう書いています。「東京からシスターが来られ、たどたどしい日本語で英文のパンフレットを説明しながら修道会を紹介し、召命黙想会に誘ってくださった。わたしはこのとき初めて修道女の姿を見た。神父様のおすすめもあって黙想会に参加したわたしは、今までの考えを変えた。入会条件は、最高の教育や持参金ではなく、神様の働き人として招きに応えることであると知った。黙想会の終わりには、もうわたしの心は決まっていた」。
こうして、シスター原は1952年に修道会に入会し、翌1953年4月、創立者のアルベリオーネ神父と初代総長のシスターテクラ・メルロが2度目の来日をしたときに、シスター原は、17名の志願者とともに着衣式を受けました。1955年6月30日に初誓願、1960年6月30日に終生誓願を宣立しました。有期誓願期は大阪でプロパガンダに励み、終生誓願後は東京で家庭宣教、書院、「あけぼの」宣伝・発送の使徒職を果たしました。1970年~1978年は名古屋と神戸の書院で働き、1978年~1981年は仙台支部で院長を務め、1981年以降は東京にもどり、受付、ダイレクトメールの使徒職を経て、1987年~2019年の約32年間、会計係として奉仕しました。
シスター原は日本の伝統的な文化を愛し、お茶をたてたり、お花を生けたり、書をたしなんだりしていました。また、和歌も作っていました。二つの歌をご紹介します。
「主を知らぬ 世の人々に 母マリア
御手さしのべて 抱きませや」
「よろこびは 主の喜びになることを
見極めながら 果たし続ける」
祈りのうちに心を引きしめ、日々の使徒職を果たしておられたシスター原の心意気が伝わってくるようです。
誓願宣立60周年を迎えたときには、「老いゆく身ながら残された日々を、パウロ的召命に忠実に歩んでいきたいと願っております」と書いておられました。天の御父は、シスター原のこの願いをしっかりと受け入れて、パウロ的召命を全うさせてくださいました。
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