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女子パウロ会ニュース
やさしい笑顔のシスター柳川が天国へ
2025.09.01
8月28日の朝、平塚修道院の院長から、施設に入所中のひとりの姉妹が亡くなったという知らせが施設から受けたと電話がありました。去る6月30日に誓願70周年を迎えたシスターマリア・ルチアーナ柳川鈴子でした。94歳で、老衰のため亡くなりました。
Sr.柳川は広島で生まれ、14歳のときに原爆に遭いました。原爆でお父様を亡くし、焼け野原になった広島の街を目の当たりにしました。Sr.柳川は思い起こしてこう書いています。「原爆で広島の街が灰になったときから、『わたしは何のために生まれてきたのか』と問い続けてきた。焼け野原の中に一軒赤い屋根、十字架のついた建物があった。行ってみよう……。そこに行ってわたしが聞いたのは『人間が生まれてきたのは、神を知り、神を愛し、神に仕えて、ついに天国の幸福を得るためです』ということだった」。こうして、18歳のときに幟町教会で洗礼を受け、1952年、21歳で大阪修道院に入会しました。
1955年に初誓願、1960年に終生誓願を宣立しました。翌1961年から3年間、長崎修道院の院長を務め、その後1964年~1966年は、英知短期大学宗教科で学んでいます。この5年間を除くと、初誓願宣立後から1985年までの30年間は、主に福岡、大阪、東京、仙台、福岡、名古屋の聖パウロ書院で働きました。
1969年、東京の東急デパートのセント・ポール・コーナーで働いていたとき、このような記事を残しています。「(セント・ポール・コーナーには、)書籍を入れた書棚が1つ、十字架や聖母像、ロザリオなどを並べたケースが一台。ささやかだけれど、はてしなく大きな希望をいだいて、わたしは毎日そこに立つ。『キリストの福音をみなに告げたい』。幾人かが、わたしたちの姿に目をとめて、ふしぎそうに立ち止まる。いちばんうれしいのは、なんといっても聖書を求められるときである。『ありがとうございます』という声はそのまま、救い主イエスへの感謝ともなるからだ。今では、『教会の窓口係』というこの仕事に、大きな喜びと誇りとを感じながら働くようになった」。
2002年からは、修道院内の仕事を果たすようになりました。しかし、アルツハイマー型認知症が進み、だんだん共同体生活が困難になり施設にお世話になりました。
葬儀ミサ・献香
Sr.柳川は、明るく、単純な姉妹でした。入所なさってからも、わたしの訪問のときに一緒に祈ったり歌ったりすると、「イエス様、愛してる」ということばをたびたび口にしていました。広島修道院で誓願宣立60周年をお祝いしたとき、次のようなお手紙をいただきました。「『ハイ』と答えてから60年、イエス様に手をひかれながら、楽しい日々を過ごしました。感謝しています。大変な時もありましたけれど。でもね、いつも喜んで『イエス様、愛してる』と(言い)、いつもイエス様の美しいお顔を見つめて、力をもらいました」。
葬儀ミサ
イエス様を愛してると公言していたSr.柳川、今は天国でイエス様と出会い、「愛してる!」と叫んでいるでしょうか。
出棺