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祈りのひととき

十字架の道行(2) 奥村一郎著『主とともに』-2

ここでご紹介するのは、カルメル会の奥村一郎神父がお書きになった『主とともに』-十字架の道行と黙想-から、やや思索的、神学的な第二の形式(同書p.33~68)の15留の祈りです。

初めの祈り

“生きることは 愛すること、愛することは死ぬこと”

ただこのひと言のあかしにすべてを賭けられた主イエスよ!
あなたたとともに生きるとは、あなたの愛ゆえにあなたとともに葬られることであり、その死によって 神の命によみがえる秘義であることを
今、さらに深く悟らせてください。

第1留 イエス死刑の宣告をうける

「十字架につけよ!」「十字架につけよ!」
嘲笑と罵言、憎悪のうずまく法廷に、イエスは黙して立つ。

   沈黙

「父よ、彼らをゆるしてください。
彼らは何をしているかを知らないからです。」
日々神殿で、イエスより心の糧を恵まれ、
飢えたときにはパンを与えられた人々。
しゅろを手に歓呼の声をあげ、地に上着を敷いてイエスを迎えたエルサレムの人々。
その人々が今、「イエスを十字架につけよ」と叫びつづけている。

手のひらをかえすように、昨日を忘れて今日をのろう人々。
いったいそんなことがあってよいのだろうか。
ありうることなのだろうか。

驚いてはならない。
わたし自身そのような、否、それ以上の冷酷な裏切りを、
神に対し、人に対して、何度も繰り返してきたことに、
今にしてなお気づかずにいるのではなかろうか。

そのことを思えば、たとい人からそのようにされるとしても怒ってはならない。ただ黙して祈る心を、そして自らを省みる謙虚を
主よ、お与えください。

第2留 イエス十字架を担わされる

だれが負うべき十字架なのか。
人間の狂気はいったいどこまで行くのだろう。
主はひと言も発せず、十字架をうけとられる。

   沈黙

「きつねには穴があり 鳥にはねぐらがある。
しかし人の子には枕(まくら)するところがない」
と言われた主イエスよ、
あなたに残された枕するところ、
それはただ死の十字架だけだったのだろうか。
死だけがあなたの憩いの場所であったのだろうか。
愛することは死ぬこと、勝つことではなく負けること、
あなたのために日々十字架を担うこと。

主よ、いつも自分を守り、子細なことにも人に譲ろうとせず、
「勝他」の心にせきたてられて、生きることも死ぬこともできずに苦しむわたしに、
死ぬことを教えてください。
自我に死ななければ、不死身の愛によみがえられないことを。

第3留 イエス、はじめて倒れる

強さを誇る神ではない、
人間の弱さをあわれむだけの神でもない。
弱さそのものにうちひしがれる神が、
あらあらしい怒号と罵声に覆われて
今ここに、わたしの足下に倒れる。

   沈黙

イエス、
わたしにはあなたの強さではなく弱さが、限りないまでの弱さが必要なのです。
ののしられても、そしらず、
倒されても逆らわず、殺されても恨まない愛の痛々しい弱さが、
地獄の死もうち勝つことのできない、あなたの愛ゆえの弱さが必要なのです。

人に負けまいとあがき、
常に頭をもたげるわたしの高慢を
あなたの弱さによって辱めてください。

第4留 イエスみ母に会われる

愛とは こんなにも痛ましいものだろうか。
沈黙、ただそれだけが、そのとき、二人を包む。
最大のことばであったにちがいない。

   沈黙

み母マリア、あなたの生きる道とは
幼子イエスと、あなたに投げられたシメオンの謎の預言に示される。
「あなたの胸は槍にて貫かれ、
この子は、逆らいのしるしとして立てられるであろう。」

キリストを生きるまことの女性とは、
今もやはりあなたと同じ運命を生きる、もう一人のマリアでなくてはならない。
饒舌ではなく沈黙、嫉妬ではなく寛容、女々しさではなく雄々しさ、
人間の救いのための真珠よりも尊いその女性が、
み母マリアよ、
あなたの愛によって生み出され、はぐくまれ、全うされますように。

第5留 イエス、クレネのシモンの助力をうける

シモンは、すすんでイエスの十字架をとったのではないようだ。
しかし、それでもよい。
だが、それにしても、
“よきサマリア人”の話は、やはりたとえ話であったのだろうか。

   沈黙

「わたしは見まわした。
しかし、だれ一人、わたしを助けてくれるものはなかった。」

よきときには友は多い、悪いときにはいちはやく遠ざかる。
弟子たちはどこに行ったのだろう。ペテロさえ、姿を見せない。
行きがかりのシモンだけが、わずかにその力づけとさせられる。
「命を賭してもあなたに従う」と言うことは易しい。
ことばとは、なんと力のないものだろう。
ペテロでさえもそうである、
ここに今ひざまずくわたしが、
けっしてあなたから離れずにいることができるだろうか。

ことばをむなしくする愛の力、それが、わめきたてる群衆のさなか、
わたしの心の騒がしさの中にも、根強く隠れているならば……!

第6留 イエス、ヴェロニカより布をうけとる

聖書には記されていない、
しかし、信じないには、あまりにも美しいヴェロニカの話は、
愛とはなんであるかを教えてくれる。

   沈黙

愛のためだけの愛、
そこには、よし どれほど小さな行いにも
夜露に宿る月のように、イエスの清らかな面影がある。
愛以外に何もないところ、
そこには澄みきった永遠の光、それだけがみなぎっている。
その清らかな美しさが、この地上のどろ沼に隠されている秘義を、
ヴェロニカはかいま見たにちがいない。

そして、それは今ここにも見いだされなくてはならない愛の現実である。

第7留 イエス再び倒れる

「再び」と、
あまりにも軽くわたしの口からことばが流れ出る。
逆流する血に目がくらんで倒れるイエス、
あなたのこの苦しみを前にして、わたしはなにを言おうとするのか。

   沈黙

遠い、はるかに遠い事実のように、
わたしは、このことを見ているのではないだろうか。
今わたしの前にあるこの小さい絵と十字架、
それに誘われる貧しい想像のみに、
この恐るべき事実を薄めてしまっているのではなかろうか。
ここではただ足を止め、ひざまずいて、そこにいよう。
それだけ、
それ以外のことは何になろう。

第8留~第15留は、次のページです。


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