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新世紀ルーツへの巡礼

目次

師イエス・キリストの弟子

2)司祭と“ディシェポリ”

日本のディシェポリたち

司祭の召命と“ディシェポリ”の召命とどこが違うのでしょうか。
アルベリオーネ神父は、こう言います。

 健康とか、才能とか、何かがすぐれているとか……によるのではありません……適性とともに傾きということです。ひとことでいえば召命です。
 ものを書く、説教する、告白を聞く、指導する、秘跡を授けるといったことをとくに望む人がいます。これは、司祭職への召命のしるしです。
 機械が好きだ、技術的仕事、普及の仕事が好きだ、といった人がいます。これは“ディシェポリ”への召命のしるしです。

アルベリオーネ神父は、善意に満ちた青年たちは、きっとこの限りなく美しい使命に、自分の場を見いだし、知恵と心と体の全エネルギーを燃焼し尽くすことができる、と確信していました。それは、印刷部門の全工程、書店、映画代理店、新聞・雑誌店の全分野が、彼らにとって数多い、しかも絶好の使徒職の畑を提供しているからです。

1921年、聖パウロ会にいた2人の青年は、正規の勉学をやめ、印刷の仕事を全面的にしたいと申し出ました。アルベリオーネ神父は、その願いを聞き入れ、“ディシェポリ”の道を開いたのです。

このような若者は、年々増加し、1924年からは、印刷に限らず、造園、レンガ焼き、機械工、運転手、画家、左官、製紙工場の仕事などに従事するようになりました。

1927年3月に、教区の認可をえて、若者たちは修練の準備をはじめました。誓願宣立後は“ディシェポリ”と呼ばれました。そして翌28年7月、そのときには聖パウロ大聖堂の落成式があったのですが、7名の青年が着衣をしました。

その修道服は、司祭の着るスータンと呼ばれる衣服に皮のバンドをつけ、そのバンドに大きなロザリオをさげたものでした。
アルベリオーネ神父は、修道士、“ディシェポリ”は、イエスの父・聖ヨセフのようだと語っています。

 修道士は聖ヨセフのようです。
 つまり司祭のかたわらにあります。
 養成でも、協力でも、使徒職でも。
 祈りによる司祭への協力は、最も重要なものです。つまり司祭の聖化のためだからです……

 彼らは、聖ヨセフのように、修道士たちも神のみ国の到来に協力するために、労苦多い働きをします。
 彼らには、聖ヨセフに似た聖化の道があります。
 祈りの精神、神のみ旨に謙虚に自分を合わせていくこと、黙々と働くことに、彼らの喜びがあります。
 活動と観想を一つに合わせて生きていきます。
 彼らの使徒職は広範に及び、時代の先端をいき、充足感をもたらすものです……

ボレッロ修道士
   ボレッロ修道士

初期のパウロ会の修道士の中に、アルベリオーネ神父の精神を忠実に生き、聖ヨセフのような生活を送った人がいました。アンドレア・マリア・ボレッロと呼ばれた修道士です。

司祭、“ディシェポリ”を含めて会員も増え、使徒職も軌道に乗り出すと、アルベリオーネ神父は次の計画の実現に取りかかりました。それは、パウロ家族の生活や活動の中心ともいえる聖パウロ大聖堂の建築です。
 次回は、この歩みをたどっていきましょう。

◆2--9 師イエス・キリストの弟子


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