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新世紀ルーツへの巡礼
よき牧者イエズス修道女会
よき牧者イエズス修道女会の創立 1
よき牧者イエズス修道女会の最初の家
人びとへの「情熱」に燃え、あらゆる人、わけても遠くにいる人や大衆に、福音のメッセージをより敏速にとどけるための方法について心をくだき、研究していました。
1912年には「司牧にあたる司祭がイエス・キリストを模倣する善い牧者であるように」との願いから、小教区の主任司祭を対象とする雑誌『司牧生活』が発刊されました。
1931年には「家庭」、1937年には「司牧上の問題をとりあげ、聖書-神学の黙想を深める」ためのラテン語の月刊誌『PASTOR BONUS(善い牧者)』を発行しています。
創立された修道会が正式な認可を得るために労苦している時でもある1938年、アルベリオーネ神父は、パウロ家族の3番目の女子修道会を創立します。「よき牧者イエズス修道女会」、通称「パストレッレ」です。この会は、教会の牧者を助けて、直接司牧の使徒職に献身します。今回はこの修道会についてご紹介しましょう。
1937年4月の修道会の母院からのお知らせ「Eco di Casa Madre(母院からのこだま)」は、新しい女子修道会の誕生を告げています。
シスターテクラ・メルロは、「主は聖パウロ女子修道会を他の使徒的活動にお呼びになっています」と言い、「パウロ家族」の新しいグループは司牧活動に携わることを発表しています。
「よき牧者イエズス修道女会」です。彼女たちの主な目的は、「牧者であるイエスに一致して生き、神の栄光と自己の聖化を目指すこと」で、第2の目的は、キリスト教的教育(カテケジス、講話、印刷物、その他の教育活動)、キリスト教的養成、キリストによる聖化という三つの活動をもって司牧者の熱意に協力・奉仕することです。この三つの活動は、道・真理・いのちである師イエス・キリストに基づいています。
よき牧者イエズス修道女会は、人びとへの司牧的熱意を生きつつ、キリスト者の養成に携わります。小教区での活動は、よき牧者イエズス修道女会に固有なものです。彼女たちは教区司祭たちに協力する目的を持っており、それぞれの可能性と条件に従って、人びととの直接のコンタクトをとおしてパウロ的精神を伝えるのです。
よき牧者イエズス修道女会のシスターたちに向けた多くの説教の中で、創立者は、彼女たちの霊性や使徒職の固有の要素について強調しながらも、いくたびとなく、パウロ家族について正確な展望を持つように彼女たちを招いています。
よき牧者イエズス修道女会は、1908年から、アルベリオーネ神父が小教区における司牧について考えはじめた3番目の女子修道会です。しかし、彼は主の時を待つ必要がありました。彼自身こう言っています。「神の御手を強いるべきではない……落ち着いて神の時を待つことである」と。
アルベリオーネ神父によって選ばれた最初の統治メンバー
シスターテクラ・メルロはよき牧者イエズス修道女会の創立について『私たちの起源』の中で次のように書いています。
よき牧者イエズス修道女会の創立は、ほんとうの殉教であったと思います。……
私は創立者が受けられた肉体的苦しみ、精神的苦しみのために、彼を殉教者とみなしています。
私たちは自動車に乗ってある修道院訪問から帰るところでした。小雨が降っていました。彼はじっとしていられなくなり、車を止めさせて降り、雨の中を歩きはじめられました。それからしばらくして席にお着きになり、おっしゃいました。「もし、歩かなければ、この苦しみが私の心をさいなむ」と。
また他の時には、次のようにおっしゃいました。「この痛みを友として、30年になる」(それは1953年のことでした)。夜中に少なくとも2回、ベッドから降りて歩かなければならなかったのです。10時と他の時、しかし私の考えでは2回以上だと思います。
飛行機で旅行しているときも、夜に起きなければなりませんでした。そしてできるときには歩いたり、あるいは近くの椅子の背に寄りかかって立ったりしておられました。乗務員がときどき寄ってきて、何か必要なものがあるかどうか尋ねていました。
実にアルベリオーネ神父は、自分が決して健康に恵まれていたのではないのですが、神の恵みに信頼し、より多くの霊的必要に応えて、新しい修道女会を創立したのです。
◆8--1 よき牧者イエズス修道女会