home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 > 10-創立者たちの最後の奉献 > 10-6 シスター マリア・スコラスチカの神への旅

新世紀ルーツへの巡礼

目次

 創立者たちの最後の奉献

シスター マリア・スコラスチカの旅立ち1

かつて、初代教会において、バルナバとサウロ(後のパウロ)が「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」(使徒言行録 13.2)との命令によって聖霊が2人を派遣したように、1924年2月10日、アルベリオーネ神父は、シスタースコラスチカとシスターメティリデを聖パウロ女子修道会にいた人たちの中から選び出し、最初の師イエズス修道女会を設立しました。
聖体礼拝を中心にする任務を受けたシスタースコラスチカは、創立者に託された神のみ旨を理解し、生涯忠実であり、師イエズス修道女会の歩みを助けました。
今はアルベリオーネ神父、ジャッカルド神父、シスターテクラ・メルロ、パウロ家族のメンバーと共に天でパウロ家族のために祈りをささげているシスタースコラスチカの神への旅を2回にわたってご紹介します。

創立者と共に生きたシスター


「聖体礼拝」

1971年11月26日創立者ヤコブ・アルベリオーネ神父が帰天されたとき、シスターマリア・スコラスチカは、創立者の死を心の底から苦しみました。彼女をいつでも、特に試練のとき、支えたのは希望による照らしでしたが、このときもそうでした。

創立者の遺体の傍らに祈る彼女の姿は、あたかも創立者と会話をしているようでした。創立者との生前の関わりからというよりは、創立者に忠実でありながら、確信をもって創立者が神からの使者であると信じ、その教えを全面的に組し参与してきた彼女は、創立者と共に「天国」、永遠のことを味わっているかのようでした。

天国、それこそ、いつも彼女の内に活き活きとしている大きな希望から出てくるものでした。
 この希望の中で、彼女は困難のときの慰めを知り、あらゆる苦しみ、犠牲には必ず報いがあるという希望をもっていたのです。

「師イエズス聖堂」
「師イエズス聖堂」と創立者の像

1973年3月、シスターマリア・スコラスチカは、アルバからローマのヴィアボルトエンセにあるレジナ・アポストロールムの共同体の一員となるよう招かれました。

彼女はそのときのことをこう書き記しています。

 私をローマに招いてくださったことを感謝します。
 私は全てに満足し、全てが順調です。
 大変気に入ったのは典礼の儀式です。
 祈りが良くできること、潜心と沈黙の雰囲気の中で精神の安らぎを保つことができます。

彼女は一人ひとりの会員を記憶し、皆の心の願いを心に留めて神に祈っていました。

1977年、80歳を迎えた彼女は、ミサの中で会員からこの日の祝いを受けました。

時の総長はこの日にあたり、こう会員に書き記しています。

 師イエズス修道女の一人ひとりが祈りと、そして感謝と愛を込めてこの特別な日を記憶するよう願っています。
 彼女は師イエズス修道女会の最初のマードレ(母)であり、だれよりも多くの労苦と祈りと彼女自身の奉献で、生涯を与えつくしました。
 彼女はいつも変わらず目立たぬよう自らを隠し、深い信仰と豊かな献身とで働き続けています。

また、ローマ共同体の会員は、彼女に次のように述べてこの日を祝っています。

 私たちの間にいてくださるあなたの存在は、修道家族に報いてくださった恵みのしるしであり、あなたの従順をとおして私たちの間に与えられた恵みの感謝であり、さらに私たちの奉献生活を完全に生きる励ましです。

 創立者に、いつも「はい」と言い、あらゆる機会に繰り返した「はい」というあなたの従順ゆえに、主に感謝を申し上げます。

 80歳を迎えられたあなたが、ご自身の召命を生きておられること自体が私たちにとって励ましとなるよう手伝ってください。

1981年3月2に行われた第3回総会で倒れたシスターマリア・スコラスチカは、健康上の必要から、9月にはローマから北イタリアにあるサンフレの修道院に向かいました。

◆10-3 神への旅


▲ページのトップへ