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なるほど! 社会教説 “しろはた”

第2回:人権(2)根源的な人権

<第1部、第3章、4 人権、b人権の特定>

 この夏休み、お子さんをお預かりして、わたしの故郷(五島)へ連れて行きました。海水浴と刺身のない五島など、子どもには何の魅力もありません。天候にも恵まれ、子どもにとっては満足のいく旅であったと思います。

 ところで、わたしのこの旅の最大の目標は、海水浴でも刺身でもありません。それは、この子たちを生きて親元に帰す、というものでした。海水浴中はもちろん、フェリー乗船中、散歩中もわたしの監視の目が子どもたちに向けられることになりました。しかし、だからと言って、子どもたちの自由を拘束することはしたくありません。「これはダメ、あれもダメ」という禁止命令は最小限にとどめ、緊急事態発生時に備えることを心がけました。というのは、「生きること、しかも自分で考え自分で判断して(主体性をもって)生きること」を保障することが、人権の根本だからです。

 人権には、○○権とか○○の権利と表現されるものが多数含まれていますが、それらはすべて「生きる権利(生存権)、しかも主体性をもって生きる権利」にその根拠があります。たとえば、わたしたちが自分のものを所有する権利(所有権)は、わたしたちが主体的に生きるために必要なので、保障されなければなりません。しかし、すでに十分持っていて、しかもほかの人が主体的に生きることを脅かすほどに所有することは不当であり、そのような所有権は認められません。このような場合、脅かされている人の生存権とその生存のために必要な所有権のほうが、優先的に保障されなければならないのです。


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