第4回:自由
<第1部、第3章、c人間の自由(135-143)、および第4章、7、c自由(199-200)>
子どものころからの経験によると、みんなのために自由は制限されなければならない、という考えのもとに教育されてきたように思えます。協調性や素直さ(目上の人の指示に疑いを持たずに従う)という評価基準のもとに、みんなと違う行動をとること、自分の考えを述べることはよろしくない、とされていたようです。社会性を身につけるとは、自分を抑制することを修得することだ、という考えが基本にあるのでしょう。権力やパワーを持つ者にとっては、実に都合のいい考え方です。
しかし、本来はこうです。わたしたちが社会性を身につけるとは、他者の自由を尊重することを修得することです。権力やパワーを持つ者は、各自の自由が尊重されるためにその力を行使しなければなりません。「協調性」や「素直さ」、みんなのために「我慢すること」を説く前に、「わたしは、生きること、しかも主体的に生きることを望まれているのだ」ということ、つまり「わたしは大切にされるべき存在なのだ」ということを実感してもらうことが、社会性をはぐくむのです。
自分が他者にとって大切な存在なのだと感じることができて初めて、人は他者の大切さに気づき、他者を尊重することを学びます。その場合、他者を尊重することは自由に喜んでなされる行為です。自由は反社会的なものではありません。自由を抑制することこそ、反社会的です。「協調性がない」、「素直じゃない」、「我慢することを知らない」と今の時代を嘆く人もいるようですが、それはパワーを持つ人たちの、自由を抑圧するという反社会的な行為が原因なのではないか、とわたしには思えてなりません。