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なるほど! 社会教説 “しろはた”

第8回:財貨が万人のためにあるという原理

<第1部、第4章、3 財貨が万人のためにあるという原理(171-184)>

 この場合の財貨とは、単に金銭的なものだけを意味するのではありません。海の幸・山の幸という素朴な自然の恵みから、開発によって得られる地下資源、知識や技術などの知的財に至るまで、あらゆるものを含みます。これらはある特定の人のものではなくみんなのものなのだ、という視点が「財貨が万人のためにあるという原理」です。しかし、ここで疑問が生じます。わたしは五島出身なので、海の幸を例にあげたいと思います。

 「この海は俺(たち)の海だ」といって、そこの産物を独占することはこの原理に反するのではないか? だからといって、この原理を適応すると、その人たちの生活はどうなるんだろう? これを解決するには、問題を整理する必要があります。何よりも優先されなければならないのは、生存権の保障です。その海の幸で生計を立てている人の生存権を脅かすことになるなら、他の人はそこで漁をすることを控え、漁師さんから買って食べるべきです。しかし一方で、本当に飢えている人がいて、お金もなく買って食べることもできない場合、その人が食べるためにそこで漁をすることを禁じてはいけません。つまり、「財貨が万人のためにあるという原理」は万人の生活を保障する原理なのです。

 世界には、財貨の独占や搾取によって、多くの人の人間らしい生活が奪われている現実があります。このような状況にあって、この原理は、財貨が彼らのために優先的に配分されることを要求しています。


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