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シスターテクラ・メルロ

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第5回 スーザへ

1918年、スーザの司教モンシニョール・ジュゼッペ・カステッリは、3年まえから休刊になっていた新聞『ラ・ヴァル・スーザ』の発行を再開して欲しいと、アルベリオーネ神父に依頼しました。

アルベリオーネ神父は縫製作業場の少女たちを考えました。彼女たちは組版や印刷のことをほんの少ししか知らないが、習い覚えることができるだろうし、“主イエスのみ名”によってスーザに行くこともできるだろうと考えました。アルベリオーネ神父はよく考え、よく祈ってから彼女たちに、モンシニョール・カステッリの要請を受ける気があるかどうか尋ねました。彼女たちはみな元気よく「はい」と答えました。そして直ちに、活字の組み方、ページの割付け方、新聞印刷の仕方を学ぶために印刷所に通いはじめました。ところが、彼女たちの善意は厳しい試練にさらされたのです。

裁縫作業場で働く女性たち
裁縫作業場で働く女性たち

シスターテクラは、後年、そんな状況の中に立ちはだかっていた多くの困難を思い出しながら、神と聖パウロの御助けに対する緊張しきった信仰をもってその場を乗り越えていったのだと語っています。その中には、クレリア・カッリアーノの死がありました。スーザへ出発する少しまえ、クレリアはスペイン風邪と呼ばれた重い流感にかかった。クレリアは、元気で丈夫な少女の一人だったが、姉妹たちの使徒職のために、自分のいのちをいけにえとして神に捧げながら、清らかで短い生涯を閉じたのであった。

アルベリオーネ神父は、「主はこの娘たちによって奇跡をなさるにちがいない!」と、目に涙を溜めて出て行く娘たち、大胆な宣教者の信仰と勇気を持ち合わせた彼女たちを見送りながら叫んだ。

まさに、奇跡です! 彼女たちの努力によって、週刊紙『ラ・ヴァル・スーザ』が毎週定期的に発行されました。それだけではありません。彼女たちを招いた司教は、彼女たちの働きに満足していました。町の人々や教区の司祭たちは、修道服なしでも真の修道生活をしている彼女たちのグループに親しみを覚え、その家に聖パウロの額があるのを見て、彼女たちを「聖パウロの娘」と呼ぶようになりました。

スーザの町の印刷所だった所
スーザの町の印刷所だった所(日よけのある所)

彼女たちは新聞を印刷し、普及しました。そのうえ小さな書院を開き、司祭や信徒たちは、そこで本や聖品を買うようになりました。また、すぐれた召命を受け入れる喜びもあったのです。何らかの資格を持つ成年女子や若い少女たちが、勉学や使徒職に献身しようとしていました。

スーザで、聖パウロの娘たちは、将来自分たちのものになる良書出版使徒職の大まかな輪郭を身につけていったのです。


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