教会をたずねて
カトリック築地教会(東京教区)
祭壇 |
聖櫃(せいひつ)とペトロ像 |
十字架 |
朗読台 |
聖堂の御心のイエス像 |
聖堂のマリア像 |
正面のステンドグラスとライト |
十字架の道行 |
聖堂正面 |
聖堂入り口 |
聖堂の座席 |
オルガン |
聖水入れ |
聖堂入り口の 聖堂内のライト |
1876年の鋳造 アンジェラスの鐘 |
マリア様と侍者の絵 |
聖ヨゼフの絵 |
正面壁のレリーフ |
殉教者記念碑 |
歴史と聖堂内部
築地教会は、東京で最初に建てられた教会です。
1862年、開国以来最初の教会が横浜に建てられました。東京では、1871(明治4)年秋ごろ、横浜から派遣されたフランス人の宣教師マラン神父とミドン神父(共にパリ外国宣教会)が宣教をはじめました。
しかし、当時はまだ、江戸の街角にはあちこちにキリスト教禁制の高札が建てられ、公の宣教はできませんでした。
そのため神父たちは、稲荷橋に商家を借り受け、仮の教会とし、1872(明治5)年には千代田区三番町にラテン学校(神学校)を開校しました。
1873(明治6)年に禁教令が解かれて、高札が撤去されると共に宣教が開始され、1874(明治7)年11月22日、聖ヨゼフを保護者として新聖堂は祝別されました。
翌年にはサン・モール会の修道女数人を迎え、小学校、孤児院、教会付属の施設の運営など、宣教はますます活発におこなわれるようになりました。1877(明治10)年、築地教会に司教座がおかれ、オズーフ司教が着座し、1920(大正9)年に、東京大司教館が築地から関口教会構内に移転するまで、宣教の拠点としての役割を果たします。
1878年(明治11年)現在地に、煉瓦作りの聖堂が建てられました。
1923(大正12)年9月1日の関東大震災で、旧聖堂は崩壊し、ローマ教皇使節の仮使節館として使用していた旧大司教館をはじめ、教会付属の建物はすべて焼け落ち、築地教会はガレキの山となりました。
大震災の3年後、1926(大正15)年11月、新聖堂の起工、翌年1927(昭和2)年4月10日に竣工、レイ大司教により献堂されました。新聖堂はレイ大司教の希望によりギリシア建築パルテノン型の木造モルタルで、中央の信徒席は畳敷きでした。
第二次世界大戦中の空襲では、近くに聖路加病院があったため空襲をまぬがれ、築地教会も戦災にあうことなく現在に至っています。
築地教会の聖堂は1999(平成11)年4月、東京都景観条例により歴史的建造物に選定され、さらに2001(平成13)年3月中央区からも文化財に選定されました。
(カトリック築地教会 Webサイトより)
- Webサイト:https://tsukijicatholic.org/