教会をたずねて
カトリック瀬田教会(東京教区)
- 教会堂名:パドバの聖アントニオ
三軒茶屋教会の巡回教会 - 主日のミサ:7:00、9:30
- 〒158-0095 東京都世田谷区瀬田4-16-1
- TEL:03-3708-0222 FAX:03-3700-0643
内陣 |
祭壇 |
正面十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
聖堂内のマリア像 |
脇祭壇のあった場所に置かれた 聖櫃とマリア像 |
向かって左側の歌隊席 |
朗読台 |
向かって右側の歌隊席 |
聖堂入り口 |
十字架の道行 |
告解室 |
聖水入れ |
入り口 「復活のイエス」の銅板 |
入り口の教会堂名 |
鐘楼 |
庭のアシジの 聖フランシスコ像 |
聖アントニオ神学院 |
神学院入り口の アシジの聖フランシスコ像 |
神学院の聖アントニオ像 |
神学院のグラウンドから 見た聖堂 |
歴史と聖堂内部
フランシスコ会は、25~6年前に日本管区として一つになりましたが、それまでは、たくさんの管区からそれぞれ宣教師が派遣されていました。イタリアからだけでも、ローマ、ベニス、ボローニャなど4つの管区から派遣されていました。しかし、派遣された管区は違っいましたが、養成に関しては一つとなって行うため、神学院建築が考えられました。
1951年、フランシスコ会の神学院建築のために、シニューゼンベルグ神父によって瀬田の丘(現在の瀬田教会)の土地が購入されました。
瀬田教会は、フランシスコ会聖アントニオ修道院の付属聖堂として発足しましたが、教会の聖堂が建てられたのは、神学院より早く1952年です。1953年には、この小さな聖堂で、最初の洗礼式が行われました。
教会より少し遅れて、1954年に、神学校校舎が落成しました。当時は、ドイツ人、ベルギー人、イタリア人など国際色は豊かで、神学校で神学と哲学を教えるための司祭たちと、中国で宣教を行い、迫害によって追放された司祭たちと、4~5人ブラザーたちがこの修道院に住み、宣教を行いました。
しかし、少しずつ手が加えられ、最初のころの建物は今は全く残っていません。
1960年には、現在の聖堂が献堂されました。この聖堂も、教会の典礼刷新の動きによって、少しずつ変えられて行きました。
最初は白だった天井が、早い時期に青色に塗り替えられました。この青色は、イタリアのどこかの聖堂を模倣したものです。
共同司式が許されていなかったころ、脇祭壇は、聖堂の右に2カ所、左側の歌隊席の上(聖堂を見下ろせる位置)にもう一カ所ありました。現在はその脇祭壇は取り除かれ、典礼の簡素化運動のときに、聖櫃が以前は脇祭壇であった聖堂の右に置かれるようになりました。
また、聖堂右のもう一つの脇祭壇後には、現在はマリア像が置かれています。
瀬田教会は、教区の登録上は、三軒茶屋小教区に所属しますが、分教会として独立した活動を行っています。2002年に、50周年を迎えた瀬田教会は、現在、新しい宣教共同体としての動きの中、「玉川通り宣教協力体」として渋谷教会や三軒茶屋教会と一つになろうという動きがはじまっています。
併設:聖アントニオ神学院
フランシスコ会聖書研究所
フランシスコ会聖アントニオ修道院