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教会をたずねて

カトリック観音町教会(広島教区)

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カトリック観音町教会

  • 教会堂名:労働者聖ヨセフ
  • 主日のミサ:7:00、9:00、18:00
          第1,第3日曜 14:30(スペイン語)
  • 〒733-0031 広島市西区観音町15-31
  • TEL:082-231-5547 FAX:082-231-3202
内陣
内陣
祭壇
祭壇
正面十字架
正面十字架
聖櫃(せいひつ)
聖櫃(せいひつ)
朗読台
朗読台
聖堂入り口にある絵
聖堂入り口にある絵
聖堂内のマリア像
聖堂内のマリア像
聖堂内のヨセフ像
聖堂内のヨセフ像
聖堂入り口にあるリーフ
聖堂入り口
にあるリーフ
十字架の道行
十字架の道行
十字架の道行
十字架の道行
十字架の道行
十字架の道行
聖堂入り口
聖堂入り口
告解室
告解室
パイプオルガン
パイプオルガン
祭壇横の広島キリシタン殉教者の絵
祭壇横の
広島キリシタン殉教者の絵
祭壇横の広島キリシタン殉教者の絵
祭壇横の
広島キリシタン殉教者の絵
祭壇横の広島キリシタン殉教者の絵
祭壇横の
広島キリシタン殉教者の絵
ルルド
ルルド

歴史と聖堂内部

1932(昭和7)年4月、ドイツの男子修道会トリエルの慈悲の友会が、西観音町1丁目にあった倉庫を改造し、貧困者のために給食事業を開始しました。その後、ここに児童も収容するようになっていきました。

 1934(昭和9)年10月には、本館建設に着手し、翌年10月には、2階建ての本館とヨセフ寮などを備えた「慈悲之友育成園」が竣工しました。

 1938(昭和13)年、トリエルの修道会は、本国の経済支援が行き詰まり、孤児院をイエズス会が買い取り、東京の上智大学院にあった修学院と哲学部をここに移して、聖パウロ三木学院と命名しました。しかし、1942(昭和17)年、聖パウロ三木学院は売却され、長束の修練院に移転しました。

 原子爆弾によって焼土となった観音町電停南側の稲荷神社跡(現在のカトリック観音町教会の場所)に、敗戦から2年後の1947(昭和22)年、在日韓国人子弟のための韓国人学校がつくられましたが、1949(昭和24)年には、政府の命令によって廃校となります。

 この跡地を、1952(昭和27)年にイエズス会が、教会建設のために購入し、翌年に谷本木材から同旧事務所の寄付を受け、司祭の住居と仮聖堂が建てられました。1954(昭和29)年4月11日には、カトリック観音町教会として献堂式が行われ、この年暁の星幼稚園が開園しました。

 1960(昭和35)年12月には、現在の聖堂が完成し、盛大に献堂式が行われました。

 教会創立10周年を迎えた1964(昭和39)年には、ルルドが完成し除幕式が行われました。

広島キリシタン殉教の碑
広島キリシタン殉教の碑 広島キリシタン殉教の碑

観音町教会の近く己斐東1丁目に、キリシタン殉教碑が建てられています。
 広島でも、徳川幕府によるキリシタンの弾圧が激しくなり、1616(元和2)年最初の殉教者が出ました。その後も厳しい弾圧が続きました。

 1984(昭和59)年2月12日、当時刑場であったこの場所に、殉教者たちを記念した碑が建立されました。


  • 行事:2月11日 広島キリシタン殉教祈念祭
          殉教碑前で祈りと聖歌をささげ、観音町教会まで15分ほど徒歩巡礼し
          殉教祈念ミサ・講演会・分ち合いなどが行われます。
  • Webサイト:https://kanoncatholic.blogspot.com/
  • Laudate キリシタンゆかりの地をたずねて 広島の殉教者

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