教会をたずねて
カトリック高円寺教会(東京教区)
- 教会堂名:聖ヨハネ・マリア・ビアンネ
- 主日のミサ:7:30、9:30
土曜日 18:30
- 〒166-0003 東京都杉並区高円寺南2-33-32
- TEL:03-3314-5688 FAX:03-3314-8954
内陣 |
祭壇 |
正面十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
朗読台 |
パイプオルガン |
聖堂内のマリア像 |
聖堂内のビアンネ像 |
聖水入れ |
十字架の道行 |
十字架の道行 |
十字架の道行 |
ステンドグラス |
ステンドグラス |
ステンドグラス |
聖堂入り口 |
告解室 |
教会の入り口 掲示板 |
天使の森 |
ルルド |
歴史と聖堂内部
1928(昭和3)年、東京で10番目の教会として東京府豊多摩郡杉並村字高円寺に、カトリック高円寺教会が出発しました。初代主任司祭には、パリ外国宣教会のギュスターブ・マイエ神父が着任しました。
マイエ神父は、着任後直ちに仮聖堂の建設に着手。同年11月に木造の仮聖堂が完成しました。このころベリス・メルセス宣教修道女会が来日し、教会に隣接した地で活動を開始し、1931(昭和6)年には、光塩高等女学校を設立しました。今日まで、教会の歴史と共に歩み、教会と一体となって宣教活動を行っています。
この1931年に、教会は地下聖堂を完成しました。
1932(昭和7)年には、教会の敷地内に幼稚園開園(現在の聖心学園幼稚園)と診療所開設、さらに1934(昭和9)年には、東京保育専修学校を開校しました。
1939(昭和14)年、初代日本人主任司祭として、西田佐市師が着任、1941(昭和16)年には、第3代主任司祭として野口由松神父が着任しました。
1945(昭和20)年 、第二次世界大戦の東京大空襲によって地下聖堂以外すべての建物が焼失しました。しかし、信徒たちは、戦争が終わるとビンセンシオ会をつくり、戦災による貧困家庭の支援や光明寮での読書奉仕、また年末共同募金を行いました。
1949(昭和24)年6月に、聖フランシスコ・ザビエルの右腕を迎え、7月には、新聖堂(現在の聖堂)が完成し、土井大司教によって献堂式が盛大に行われました。
1968(昭和43)年8月、地下室を改装し、信者会館(マイエホール)、1979(昭和54)年12月、「ルルドのマリア像」、1984(昭和59)年1月、聖堂内の「十字架の道行」の画、1987(昭和62)年4月、聖堂内のステンドグラスが完成しと教会が拡大していきました。
同時に、「ブラジル援助の会」、「SOS=難民の定住を支援する会」、「山の会」などの活動が行われてきました。
さらに、2003(平成15)年11月には、教会案内所として、またグッズショップとして「天使の森」がオープンしました。
2004(平成16)年には、岡田武夫大司教司式により教会創立75周年記念ミサが行われました。この75年の歩みの中で、高円寺教会は、3人の司教(野口司教、相馬司教、岡田司教)と数多くの司祭、修道女を輩出し、今も大きな宣教の拠点として活躍しています。