教会をたずねて
カトリック北一条教会(札幌教区 カテドラル)
内陣 |
祭壇 |
正面十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
朗読台 |
聖堂前方 |
祭壇左側の天使像 |
祭壇右側の天使像 |
司教座 |
聖堂内のマリア像 |
聖堂内のヨゼフ像 |
十字架の道行 |
聖水入れ |
聖堂入り口 |
告解室 |
扉上部 |
扉上部 |
天井の絵 |
天井の絵 |
天井の絵 |
司教館 |
教会の塔と幼稚園 |
歴史と聖堂内部
北一条教会は、札幌教区の司教座聖堂(カテドラル)です。
1880(明治13)年に函館教会のペッティ主任司祭が2週間巡回で行った宣教が、札幌におけるはじめての宣教です。
翌年には、南1条西3丁目の信徒宅で、函館教会のウルバン・フォリー神父の司式によりクリスマスミサが行われました。
1882(明治15)年1月15日、フォリー神父によって、南4条東1丁目に仮教会が設置され、12月には、3人が受洗しました。この仮教会は、1885(明治18)年に、南2条西6丁目の白官邸に、さらに翌年には、南2条東4丁目の伊藤久兵衛方に移されます。この年、北日本教区長ピエール・マリ・オズーフ司教が札幌に巡回しました。
1891(明治24)年4月に、東北6県と新潟県、北海道(のちに樺太を含む)をまとめる函館司教区が設立され、ベルリオーズ司教が教区長に就任しました。秋には札幌北一条仮聖堂と司教館が北2条東3丁目(現北1条東6丁目・北2条通側)に新築され、翌年献堂式が行われました。
1893(明治26)年、アンリー・ラフォン神父が、仙台元寺小路教会から、北一条教会に着任しました。まもなくラフォン神父は、冬に備え石造りの司祭館と聖堂の建築を計画し、1898(明治31年)には、1階に司祭館、2階に聖堂を備えた石造りの北一条教会が、北一条通り側に完成しました。
1914(大正3)年、フランシスコ会が函館地方を除く道内の宣教・司牧を担当することになり、約20年間熱心に司牧したラフォン神父は福島県郡山教会へ転任しました。
翌年2月には、函館教区より札幌知牧区が分離独立し、初代教区長にヴェンセスラゥス・キノルド神父が就任しました。
1916(大正5)年10月8日、木造の北一条教会現聖堂の献堂祝別式が行われました。この年、カトリック週刊紙「光明」が、北一条教会より創刊される(1925年には、北十一条のフランシスコ修道院に移る)。
1929(昭和4)年3月18日札幌知司牧区が代牧区に昇格し、キノルド神父が司教に叙階されます。北一条教会を中心に、地域の貧困者援助や救済、殉教者の映画上映の協力や演劇などによる宣教によって発展していきました。
1941(昭和16)年には、教会や学校長を外国人から邦人に委譲するようにとの政府の命令によって、キノルド司教に替わって東京麻布教会の主任司祭であった戸田帯刀神父が札幌教区長となりました。しかし、翌年には、光星商業高の理事長を兼ねていた戸田教区長が、軍事教練に非協力的とされ、逮捕投獄されましたが、信徒の働きかけで裁判で無罪となり釈放されます。
1944(昭和19)年9月、戸田札幌教区長は軍部との軋轢を避けて辞任し、横浜教区長に転任。後任には、東京麻布教会の主任司祭の瀬野勇神父が着座しました。翌年日本の敗戦により長い戦争が終わりましたが、戸田横浜教区長はその年の8月18日に憲兵に射殺されました。
1952(昭和27)年12月、瀬野勇教区長が辞任。札幌代牧区が司教区に昇格し、初代司教に冨澤孝彦神父が任命されました。
1953(昭和28)年3月18日、北一条教会において冨澤孝彦司教叙階式が行われ、北一条教会は司教座聖堂(カテドラル)となります。
1987(昭和62)年、冨澤教区長の引退にともない、札幌教区長に円山教会主任司祭であった地主敏夫神父が任命され、司教に叙階されます。
2001年に宣教120年を祝った北一条教会は、今も札幌教区のカテドラルとして、その宣教の中心的役割を果たしています。