教会をたずねて
カトリック廿日市教会(広島教区)
内陣 |
祭壇 |
正面十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
朗読台 |
聖堂内 イエス像 |
聖堂内 聖母子像 |
ステンドグラス |
十字架の道行 |
聖水入れ |
オルガン |
サントニーニョ |
告解場 |
聖堂後方 |
小聖堂 |
和室 |
廿日市 聖母マリア幼稚園 |
歴史と聖堂内部
1951(昭和26)年、ミサは五日市町の信徒宅でささげられていましたが、その後、シック神父の奔走によって寄付をいただき、廿日市に土地家屋を購入して、そこでミサがささげられるようになりました。当時の信徒数は30名でしたが、シック神父の責任の下、幟町教会から離れて小教区として独立しました。
11月には、祭壇が設置され、初代主任司祭としてド・シャンジー神父が着任しました。
1953(昭和28)年4月、聖母マリア幼稚園が開設されました。当時の園児数は8名でした。
その年の7月には、刑務所や少年院にいた青年たちのための家「聖ミカエルの家」が開設されました。
1955(昭和30)年には、第2代主任司祭のクリシェル神父が着任し、ド・シャンジー神父は「聖ミカエルの家」に移りました。
1961(昭和36)年には、第3代主任司祭ロイシェル神父が着任、当時の信徒数は80名でした。
1964(昭和39年)、現在教会のある場所に土地を購入することができました。
翌年には、廿日市教会の司牧がイエズス会から広島教区に移管されました。
その年の4月、聖堂の焼失により、ミサは司祭館2階でささげられるようになりましたが、12月西ドイツの信徒の寄付により、現在の地に司祭館と幼稚園、住宅が完成しました。
1967年、聖母マリア幼稚園が光塩女子学院廿日市聖母マリア幼稚園となりました。
さらに11月には、西ドイツやケルン教区の寄付と廿日市教会の信徒たちの努力により、新聖堂が落成し、野口司教によって祝別が行われました。
1970(昭和45)年、聖母マリア幼稚園の西側園舎が落成し、翌年11月、廿日市教会創立20周年とメルセス会40周年記念行事としてルルドの聖母像が設置されました。
1972(昭和47)年、墓地用の山林を購入し、1974(昭和49)年に許可され、10月に廿日市霊園の祝別式が行われました。
1989(平成元)年5月、聖母像の除幕式が行われ、12月3日には現在ある新聖堂の献堂式と堅信式が、三末司教の司式によって、盛大にとり行われました。
2001(平成13)年イエスのみ心の祝日に、廿日市教会創立50周年を迎え、24日、三末司教司式によって、記念行事が行われました。
1868年と1870年に、津和野藩へ配流された浦上のキリシタンが上陸したのは、廿日市でした。現在も、その時の船着き場、船屋敷跡が残っています。