教会をたずねて
カトリック三篠教会(広島教区)
聖堂正面 |
祭壇 |
正面十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
朗読台 |
聖堂内 聖母像 |
聖堂内 ヨセフ像 |
ステンドグラス |
十字架の道行 |
聖水入れ |
オルガン |
告解場 |
聖堂後方 |
聖堂外壁にあるマリア像 |
ルルド |
庭のヨセフ像 |
歴史と聖堂内部
1931(昭和6)年当時の広島教区長であったヨハネ・ロス司教は、日本での宣教のために煉獄援助修道会会員を招きました。1935(昭和10)年4月にフランスから3名の会員が派遣され、ラサール神父の許で宣教活動を開始しました。翌年には、楠木町で託児所を開設し、日曜学校や公教要理もはじめました。
1941(昭和16)年に第2次世界大戦がはじまると同時に敵国籍となり、フランス人のシスターたちは、三次の刑務所に収容されました。迫害の中、日本人のシスターたちは、貧しく苦しんでいる人たちのために働き続けました。しかし、戦争が激しくなり、連日の空襲で保育所を続けることが次第に難しくなっていきました。1945(昭和20)年8月6日、原爆ですべてが消失し、長束へ避難しましたが、9月になって進駐軍がバラック造りの小さな建物を造ってくれました。12月には、保育所を再開しました。
シスターたちは、ベビーホーム小百合保育所などをとおして、地域社会に協力し、入会者も増えていきました。信徒の数も増し、修道生活に支障をきたすようになり、修道院から土地の一部を譲渡してもらい、教会建設の準備を開始しました。1948(昭和23)年には、司祭館が完成し、独立の準備が進みました。
1949(昭和24)年に、祇園教会から分かれ、三篠教会として独立し、高倉神父が主任司祭として着任しました。
そして、1952(昭和27)年、念願の聖堂が竣工し、11月23日に萩原教区長によって聖堂祝別式を迎えることができました。翌年には鐘の祝別式が行われました。
1959(昭和34)年、教会正門から伝道場、聖堂に通じる小道ができました。翌年には石造りの正門が完成し、次の年には、図書室も完成しました。
1969(昭和44)年には、創立20周年記念式典が行われました。
また、1974(昭和49)年12月、聖堂から火災が発生し、脇祭壇と外の一部を焼失しましたが、翌年3月には修復されました。
三篠教会は献堂からすでに50年以上たっていますが、落ち着きのある美しい聖堂は訪れる人たちの心をなごませてくれます。