教会をたずねて
カトリック米沢教会(新潟教区)
聖堂正面 |
祭壇 |
正面十字架 |
聖櫃(ひつ) |
朗読台 |
聖堂内 良き牧者イエス像 |
聖堂内 聖母像 |
聖堂内 聖家族像 |
聖堂内 ダミアン神父像 |
十字架の道行き |
聖水入れ |
オルガン |
バプチスタ神父がローマに送った手紙 |
聖堂入り口 ステンドガラス |
聖堂内 壁掛け |
聖堂後方 |
甘粕邸跡と思われる場所から発見された石(十字が記されている) |
信徒館玄関ホール |
聖堂前のルルドの聖母像 |
歴史
米沢は、多くの殉教者を生んだ地です。1629年1月12日、雪に覆われた米沢の北山原、糠山、新藤ヶ台の三か所で、53人の信徒たちが、自らの信仰を守るために、その命をささげました。
その殉教者たちの多くは、米沢の教会の信徒でした。
1610年ころ、甘糟右衛門信綱は、江戸でルイス・ソテロ神父から受洗しました。右衛門と2人の息子たちが、中心となって米沢の教会を導き、多くの武士とその家族にも信仰の種を撒きました。
信徒の数が増すごとに信心の組を作り、それによって家臣や領地の農民の間にも信仰を伝えました。
この米沢の教会には、15年間、ある年を除けば、米沢に宣教師は住んでいませんでした。信徒の手で作られた信仰の共同体でした。
上杉景勝の存命中には迫害がありませんでしたが、跡を継いだ息子定勝の代になると、もはや幕府の圧力を避けることはできませんでした。そして、殉教した信徒たちの大多数が、北山原で処刑され、そこに葬られました。
1927年、教会はこの殉教地を譲り受け、1929年、殉教三百年を記念して碑を建てました。
現在の米沢教会は、1927年(昭和2年)11月27日、米沢市館山口町の高野薬局の一室を借りて聖テレジア教会として発足しました。
1935年(昭和10年)には、現在の場所に移転して、聖クレメンス教会として献堂式が行われました。
1980年(昭和55年)、現聖堂、司祭館、信徒会館を完成した。
(米沢教会 Webサイト 参照)
- Webサイト:http://catholic-yonezawa.com/
- Laudate キリシタンゆかりの地をたずねて 米沢の殉教者たち