教会をたずねて
カトリック島原教会(長崎教区)
聖堂前方 |
祭壇 |
祭壇正面 十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
朗読台 |
バラ窓 |
スタバトマーテル(たたずむ聖母) |
祈る預言者 |
聖堂入り口 ステンドグラス |
聖堂入り口 ステンドグラス |
島原の乱の陣中旗 |
踏み絵 |
十字架の道行 |
オルガン |
聖水入れ |
聖堂後方 |
マグダレナ林田 像 |
聖堂入口左 イグナチオ内堀 像 |
中浦ジュリアン 像 |
ルイス・デ・アルメイダ 像 |
わが子よ |
聖堂から見た道祖神 |
ルルド |
庭の十字架の道行 |
鐘楼 |
歴史と聖堂内部
1902(明治35)年ごろから、島原半島の宣教は再開されました。
1931(昭和6)年には、島原市掘端(二の丸)の土地を買い、翌年からは、諫早教会の山口宅助神父が巡回宣教を行い、民家を借りてミサを行うようになりました。
この年の9月には、早坂司教により諫早小教区から分離独立され、島原小教区が設立され「島原二の丸教会」に初代主任司祭として山口宅助神父が着任しました。
1935(昭和10)年には、二の丸に司祭館が建築されましたが、1940(昭和15)年、戦争のため、「二の丸教会」から「上の町教会へ移転しました。
翌年、上の町に、司祭館と託児所が併設されました。
1947(昭和22)年から、コロンバン会およびカナダ・スカボロ宣教会に小教区司牧は委託され、翌年には、幼稚園が開設されました。
1950(昭和25)年には、カナダ系の修道女会のシスターたちの奉仕によって、白土町で無料診療所が開設されました。
1953(昭和28)年、現在の「白土町教会」に移転し、祝別されました。
1970(昭和45)年から、再び教区司祭が司牧を担当することとなりました。
1997(平成9)年、現在の島原半島殉教者記念聖堂が建設されました。
この島原半島殉教者記念聖堂の形である八角形の「8」は、人間の生活は7日で営まれ、「さて8日の後・・・イエスが来て真ん中に立ち」(ヨハネ 20.26)ともあるように、8日目とは神が与えられる復活の新しい日を象徴的に表した日にちと言えます。また、創世記に書かれた神の創造が「八日目の創造」と言われること、また「真福八端」(真の8つの幸せの教え)から構想されました。
内陣の壁面のレリーフは、生命のシンボルとしての川とロザリオが表現されています。
ステンドグラスは、誕生の神秘として「みことばは世に来られた(ベトレヘムでの誕生)」「島原半島に宿り、成長したみことば(アルメイダとヴァリニアーノの使命)」「日本人司祭育成の始まり-有馬のセミナリヨ-地方教会と普遍教会の架け橋となった4人の少年使節」、苦しみの神秘として「ゲッセマネのイエス-試みの教会」「生命の川の岸辺に燃える有馬の8人の殉教者」「お父さん 生贄の子羊はどこにあるのですか(波間に沈む堀内3兄弟殉教)」「証しの山に登る雲仙の殉教者」、復活の神秘として「パンを裂いてくださったときにイエスだとわかった(復活のイエスとの出会い)」が描かれています。
また、天井のバラ窓は、「真福八端」が描かれています。
聖堂内陣から見える庭には、「親子の祈り」「同胞の祈り」「孤独者の祈り」「老人の祈り4体の道祖神が置かれ素朴な祈りの原風景が表現されています。
教会の入り口横には、島原半島にキリストの教えを伝えた宣教師ルイス・デ・アルメイダの像と、有馬のセミナリヨ、天正少年使節の1人中浦ジュリアンの像があります。
(『殉教者の道をゆく』より抜粋)
- Laudate キリシタンゆかりの地をたずねて 有馬の殉教者