教会をたずねて
カトリック小倉教会(福岡教区)
- 教会堂名:被昇天の聖母
- 主日のミサ:7:30、10:00
土曜 19:00
- 〒802-0084 福岡県北九州市小倉北区香春口1-3-1
- TEL:093-921-0093 FAX:093-921-0139
聖堂前方 |
祭壇 |
祭壇正面 十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
朗読台 |
洗礼盤 |
聖堂内 聖母子像 |
ステンドグラス |
ステンドグラス |
十字架の道行き |
オルガン |
告解室 |
聖水入れ |
聖堂入り口 |
聖堂前のディエゴ加賀山隼人の 殉教地の碑とマリア像 |
教会入口にある ディエゴ加賀山隼人の殉教地の碑 |
歴史と聖堂内部
1614(慶長19)年のキリシタン禁令以後、小倉においても宣教師は追放され、教会も墓地も壊され、たくさんのキリシタンが転んで、ディエゴ加賀山隼人をはじめ多くの殉教者を出しました。
1887(明治20)年、パリ・ミッション会のエミール・ラゲ神父が福岡市で再宣教をはじめました。
ラゲ神父は、島田神父とともに北九州の小倉地区にも再宣教を開始しました。ラゲ神父は15年間福岡全般の宣教に当たりながら、小倉に移住した長崎の信徒たちとも連絡をとっていました。
1890(明治23)年に小倉に赴任した有安秀乃進神父は、家を借りて小倉に定住し、宣教を行いました。これが、小倉教会の出発点となります。
1896(明治29)年に赴任したフィリップ・フェラン神父は、小倉のはずれ香春へ通じる水田の一郭を教会の用地として購入し(現在の教会所在地)、フランスからの寄付で、司祭館伝道士館を建てました。
1900(明治33)年、日本家屋2階建ての小倉教会の最初の聖堂が建てられました。この後、1907(明治40)年に門司に聖堂が建てられ、1912(明治45)年に八幡において借家で司牧が開始、1914(大正3)年には新田原にも聖堂が建てられました。
1933(昭和8)年には、無料診療所が置かれました。
翌年には、聖堂の老朽化により洋式の聖堂が建てられました。しかし、第2次世界大戦がはじまり、北九州にも激しい空襲が襲い、終戦の何日か前に教会の建物が壊されてしまいました。戦後、米軍の援助によりバラックの仮聖堂が建てられるまで、玉屋裏の借家を聖堂の代わりに使用することとなりました。
1948(昭和23)年に赴任したジャン・ムルグ神父は、古材で洋裁学校を建て、後に信徒会館として使用されました。
また、小倉教会を本部として、日本のJOCを発足させました。1952(昭和27)年に本部は東京に移りました。
1950年代は、毎年求道者が増え続け、バラックの聖堂では入りきれないほどでした。
1958(昭和33)年、5年間の資金集めの努力のあと、壊れそうになっていた聖堂を再建しました。
1991年には、司祭館と信徒会館として「小倉カトリック会館」が落成しました。
2008年11月列福されるディエゴ加賀山隼人の殉教碑が、教会敷地内に建てられています。
- Webサイト:http://www.kokuracatholic-church.com/
- Laudate キリシタンゆかりの地をたずねて 小倉の殉教者 ディエゴ加賀山隼人