教会をたずねて
カトリック雲仙教会(長崎教区)
聖堂前方 |
祭壇 |
聖堂正面十字架 |
聖櫃 |
朗読台 |
聖堂内 マリア像 |
聖堂内 アントニオ石田像 |
ステンドグラス 聖母の組 |
ステンドグラス 慈悲の組 |
ステンドグラス 聖体の組 |
ステンドグラス 剣を鋤に、槍を鎌に |
ステンドグラス 日本の教会 |
ステンドグラス たたずむ聖母と日本の教会 |
ステンドグラス |
十字架の道行き |
聖水入れ |
オルガン |
告白室 |
聖堂後方 |
歴史と聖堂内部
1627(寛永4)年から1632(寛永9)年まで雲仙地獄は殉教の舞台でした。
松倉豊後守重政の命令によって、島原、深江、有家、有馬、口之津の主だった信者たちが雲仙で拷問を受け、その中の30余人が殉教しました。
また、長崎奉行竹中采女正は、アントニオ石田神父ら5人の宣教師と60人のキリシタンを棄教させるべき、長崎より雲仙に護送し激しい拷問をくわえました。しかし、宣教師はその拷問に耐え、長崎に戻され西坂で火あぶりの殉教を遂げました。彼ら5人は1867年に列福されました。
アントニオ石田をはじめとする殉教者たちにささげられ、教皇ヨハネ・パウロ2世が長崎を訪れたことを記念して1981(昭和56)年に献堂されました。
- Laudate キリシタンゆかりの地をたずねて 雲仙の殉教者