教会をたずねて
カトリック平戸教会 [ザビエル記念聖堂](長崎教区)
歴史と聖堂内部
平戸を訪れると、高台にザビエル記念聖堂が見えます。
禁教が解かれて五島や外海などの信徒が移り住むようになり、信徒が増えていきました。当初は、マタラ神父によって1891(明治24)年に建てられた上神崎教会(別名:潮ノ浦天主堂)の巡回地でした。
1931(昭和6)年に大天使聖ミカエルにささげられた教会が建てられ、早坂久之助司教によって献堂式がおこなわれました。
この高台を選んだのは、当時日本の宣教のために働いていたパリ外国宣教会の宣教師たちが、教会建設のとき、教会がどこからでも見えるように高台を選んだことに早坂司教が倣ったということです。
鉄筋コンクリート造りで、正面中央に巨大な尖塔と小尖塔が林立しています。白を基調とした内部平面は三廊式で、壁や柱には、マーブル模様の伝統的な漆喰塗りの技法が彫刻が施されています。天井はリブ・ヴォルト(コウモリ)天井で、聖堂内にはステンドグラスをとおしてやさしく美しい光が差し込みます。
1971(昭和46)年7月、献堂40年を記念してフランシスコ・ザビエルの像が建てられ、「平戸ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになりました。
教会敷地内には他に、平戸殉教者顕彰慰霊之碑、献堂75周年とザビエル生誕500周年を記念して2006年に建設されたルルドがあります。
また、平戸の松浦久信に嫁ぎ、1630(寛永7)年に徳川幕府のキリシタン弾圧によって、幕府の命令で江戸へ送られ、臨済宗で大徳寺派の広徳寺へと強制的に仏門へと入れられ、そこで亡くなった大村純忠の娘メンシア(松東院)の墓が、教会と向かい合う正宗寺にあります。
教会に市街地から登る途中、坂の途中にある光明寺や瑞雲寺と重なって見えるため「寺院と教会の見える風景」として平戸の象徴的な景観となっています。