教会をたずねて
カトリック江ノ口教会(大阪高松大司教区)
聖堂前方 |
祭壇 |
祭壇正面 十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
朗読台 |
福者パウロ田中と妻マリア |
十字架の道行き |
オルガン |
聖水入れ |
聖堂 天井 |
聖堂 鈴とおりん |
聖堂後方 |
瞑想の場 |
瞑想の場 |
瞑想の場 |
聖堂前 「地球の母 マリア」の像 |
歴史と聖堂内部
1869(明治元)年に、浦上四番崩れによって流配された64名の浦上の信者たちが、土佐藩の「江ノ口牢」に収監されました。これを記念して、1938(昭和13)年、「江ノ口牢」に近く(現在地)に田中英吉神父(後の高松教区司教)が私財を投じ教会堂を建築しました。当時は「カトリック新本町教会」と呼ばれました。
1945年の高知市空襲によって中島町教会は焼失しましたが、新本町教会(江ノ口教会)は戦災を免れました。
1960年代、オブレート会の司祭たちによって聖書だけではなく英語の学習が行われ多くの学生が集いました。
英語の学習会などの熱心な宣教活動により、1964(昭和39)年には山中(本山町)宅、また中町(田井)宅にも布教所が開所されました。しかし多かった信徒数も、現在は人口減少により6名となりました。
1969(昭和44)年3月には、信徒会館“はまゆう会館”が完成しました。
1980(昭和55)年、教会敷地内にボランティア・ビューローが移転されました。シモンズ神父の指導のもと「いのちの電話」、車椅子の指導、AA、ACなどのミーティングなどさまざまな活動が行われています。
1983(昭和58)年には“プロライフ運動”事務所がはまゆう会館2階に開設され、命の尊さを、人びとの心の中に根付かせるため、妊娠中絶と安楽死反対を訴え続けています。また、老人問題にも取り組んでいいます。
1984(昭和59)年9月24日、木造で和風造りの新聖堂の献堂式が、行われました。
(江ノ口教会 Webサイト 参照)