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教会をたずねて
CHIESA DEI SANTI MARTIRI GIAPPONESI 日本聖殉教者教会(イタリア)
聖堂前方 |
祭壇 |
祭壇上の十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
*1正面天井壁画 |
*2天井左壁画 |
*3後陣正面 西坂の刑場壁画 |
*4後陣左側 西坂の刑場壁画 |
*5後陣右側 西坂の刑場壁画 |
*6聖壇左側壁画 |
*7聖壇右側壁画 |
朗読台 |
聖堂内左 天使像 |
聖堂内右 天使像 |
十字架の道行き |
脇祭壇 |
脇祭壇 |
聖堂から外を見る |
焼失前の聖堂 |
歴史と聖堂内部
チヴィタヴェッキア(Civitavecchia)は、イタリアの首都ローマの西南西にある港町で、日本との関わりが深い町です。イタリア、ラーツィオ州、ローマ県のコムーネの一つです。
ローマ終着(TERMINI)駅から PISA 経由 MILANO 行き、急行で約45分、車では VIA AURELIA 街道で約45分から1時間のところにあります。
「Civitavecchia チヴィタヴェッキア」とはCivita=街、vecchia=古い、「古代の街」を意味します。
1615年、支倉常長は伊達政宗の命を受けフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ(Luis Sotelo)の副使としてローマに赴く時に日本人として初めてチヴィタヴェッキアに上陸しました。それを記念して武士姿の支倉の銅像が建立されています。
支倉常長が出発した地である石巻市とは姉妹都市の関係にあります。
チヴィタヴェッキアの海岸沿いに「日本聖殉教者教会」があります。
この教会は、1597年に長崎で殉教した日本26聖人を記念して、1862年に献堂されましたが、第2次世界大戦で破壊されました。1951年教会再建に際して内部装飾のために日本人宗教画家長谷川路可氏が招聘され壁画作成に着手されました。
フレスコ画は、すべて長谷川氏によるもので、彼自身が「筆の筆のひとはこびが祈りであり、私はそれを神にささげました」と語っておられるように、祈りの中で描かれたものです。1954年に壁画完成の祝別式が行われ、チヴィタヴェッキアの名誉市民賞を受けました。
長谷川氏は、チヴィタヴェッキア「日本聖殉教者教会」の壁画作成に対し、1960年に菊池寛賞を受賞しています。
1997年は日本26聖人殉教400年、長谷川路可生誕100年にあたり、盛大に式典が行われました。
毎年2月5日の日本26聖人殉教者の祝日には、ローマをはじめ、多くの人がこの教会に巡礼し、祈りがささげられます。
- *1 正面天井壁画:
- 中央上・・・天の目(三位一体を表す三角形の中に、中心に神を示す目が描かれている。
左・・・聖フランシスコ・ザビエル
中央・・・桃山時代の盛装をした聖母子
右・・・アッシジの聖フランシスコ - *2 天井左壁画:
- 支倉常長・・・17世紀にはじめてチヴィタヴェッキアに上陸した日本人。
- *3 後陣正面 西坂の刑場壁画:
- 左・・・聖フランシスコ・ブランコ神父
中央・・・聖ペトロ・バウチスタ神父
右・・・聖ルドビコ茨木(殉教者の中で最年少 12歳) - *4 後陣左側 西坂の刑場:
- 左側から・・・聖コスメ竹屋
聖ヨハネ絹屋
聖ヨアキム榊原
聖ヨハネ五島
聖フィリッポ・デ・ヘスス
聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル - *5 後陣右側 西坂の刑場:
- 上 左側から・・・聖パウロ鈴木
聖パウロ三木
聖ガブリエル伊勢
聖フランシスコ医師
聖ディエゴ喜斉
下 左側から・・・聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン
聖ゴンザロ・ガルシア - *6 聖壇左側 彼杵の浦で船出を待つ囚人たち:
- 上 左側から・・・聖マチアス
聖パウロ茨木
聖ペトロ助四郎
聖トマス談義者
下の少年 ・・・ 聖アントニオ
一番下 ・・・ 長谷川路可氏の自画像 - *7 聖壇右側 住吉在枝川の堤の茶店の脇:
- 自分も仲間に加えて欲しいと嘆願する大工の聖フランシスコ吉
左側から・・・聖ミカエル小崎
聖ボナベントゥラ
聖トマス小崎
聖レオン烏丸
聖フランシスコ吉